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理性的に生きたくない

「モーニングページ」というものをやっている。

いろんな本で提唱されている、「起き抜けの脳みその中身を、そのまま適当なノートに書き起こしてぶちまけなさい」というやつだ。

これが割と意味があるもので、おすすめしたい。
頭がさめるし、だいたい朝食のメニューはこのモーニングページ中に決まる。
(途中から内容があれが食べたい、これが食べたい、ばかりになるのだ)
ごくたまに、自分の人生観とか、そういうデカイことがパッとわかったりもする。
自分の脳みその中をシゲシゲ眺める機会も無いから、なかなか面白い。

モーニングページは深く考えて書くことはしない。
だから、自分の多用する言い回しに気づいたりする。

「するべき」「〜したほうが良い」「正しい」
わたしはこの3つがとても多い。

でも、なんでかその言い回しが嫌なのだ。
自分で自分の言葉を狩るみたいだけれど。
自分や他人という「人生の評価者」がべつにいる気がして、嫌なのだ。

「より良い人生」を求めているけれど、「ここらでこうしておいた方が良い」「こうするのが正しい」みたいに決めてしまうと、なにか人生の点数表みたいなのと顔を突き合わせて今後の方針を決めている感じがする。

そこまで人生に理性を求めていない。
直感と感受性をもっと放し飼いにしていたい。

そっちの方がかっこいいし。

(結局人生を自己評価している)

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