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ちゃんと生きるってむずかしい

これはわたしの口癖。何かにつけて「むずかしいよね〜」と言いがち。
この「むずかしいよね〜」、自分の中の言論警察の取り締まり対象である。

「言葉に力がある、と思っている者としては薄っぺらい発言、看過できぬ。何をどうむずかしく思うのか、説明してみろ」

こんな感じで、言論警察がめざとく見つけてくる。ちなみに「ちゃんと生きる」についても同様で、

「ちゃんと、ってなんだ。生き方に段階があるのか?どういう生き方をすれば"ちゃんと"生きるってことになるんだ?」

まーー確かにそうだけれど、この語呂の良い「ちゃんと生きるってむずかしいよね〜」をわたしから取り上げないでほしい。

そんなわけで、「ちゃんと生きるってむずかしいよね」がどういう感情なのか、整理してやることにする。

ちゃんと生きる

考えてみた。これには3つの要素がある。

①めんどくさがらないこと
②権利を放棄しないこと
③自立しようとしていること(そのうえで人に頼ること)

①めんどくさがらないこと

暮らしをめんどくさがらないこと、考えることをめんどくさがらないこと。
食べるものにしても身なりにしても、「ちゃんとする」っていうのは誰かに捧げるものではなくて、自分の扱いをめんどくさがらないことなのだと思う。

自分が満足するように、自分が動くことをめんどくさがらないのが、「ちゃんと生きる」の大部分を構成している。

(満足するなら、自炊しなくたって、Tシャツ短パンすっぴんだって、全然いいのだ)

②権利を放棄しないこと

わかりやすい権利で言うと、選挙権とか。
「自分の意思を伝える」という権利を捨てないで生きること。
発言をやめないこと。もちろん無理はしないで良いけれど、「溜め込んでいいたらいい」とは思わないでいたい。

どこか吐き出せる場所を一つでも持っておきたいし、その場所での発言が多少の効力を持つといい。

伝える権利を行使するには、考えなくてはいけない。
やっぱり、考えることをめんどくさがってはいけないのだと思う。

自立しようとしていること(そのうえで人に頼ること)

経済的にもだし、生き方的にも。何かに依存しすぎず、まず自立するという意思があること。
あと、どうしても自立できない場合に自分を責めすぎないこと。
病気とかでどうしようもない時はあるし、責めることで自分を消耗しすぎたっていいことはない。

「自立する」という意思を持っているのが「ちゃんと生きる」の原動力になる。

で、「ちゃんと生きる」ってむずかしい?

「ちゃんと生きる」の詳細が見えて、すっきりした。なるほど、なんか聡明な人っぽくて、確かにちゃんと生きてみたいと思った。

さて、この憧れの「ちゃんと生きる」はむずかしいのだろうか?

個人的には①のめんどくさがらないがかなりの鬼門である。
めんどくさがった結果の小さな後悔や挫折は山ほどあるし。

やっぱり、むずかしいんではないだろうか。

でも、「むずかしいよ〜」とわざわざ自分に脅しをかけるのもどうかと思うし、要は「満足できて、ちゃんと考えて、自立して生きればOK!」なので、自分の線引き次第である。

適当にちゃんと生きるのが良い。

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