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時間の経過がストレスすぎるんじゃ

のんびりモーニングとか食べてると、平気で40分経ってますよね。気分良くコーヒーを啜ってたのに、一瞬で不機嫌になってしまいます。そのうえ、「てか、ここまで歩いてきた時間入れたらドアtoドア2時間も経つの?!」みたいな勘定まで始めてしまう。

わたしは時間の経過を認識するとイライラしてしまう。時間に対して、異様にケチんぼなのだ。「ちょっと、なに勝手に午前中終わってんの?!あたしのやりたいこと、なんも終わってないんだけど?!」みたいな。

子供のころ、夕方でバイバイするのが認められずにいたように、毎日時間の経過が悲しくてたまらない。と書きつつも、実際には時の経過に対して無表情だ。時間は誰かに奪われたのではなく、わたしが浪費したに違いないからだ。自己責任なので、何食わぬ顔で毎日を過ごすしかない。

でもほんとは床に寝っ転がって言いたい。「ヤダヤダヤダ〜!まだ遊びたい!まだ本も読みたいしお絵描きもしてないし気まぐれに勉強したいし安心できるくらいに仕事進めたいし内省する時間もとりたいしその元気も欲しい〜!!!!!あとサウナも行く!!!」

聞き分けがなさすぎる……

でも、ほんとにほんとにそう思っちゃうのだ。24時間は短すぎる。いや、薄々分かってきたが、24時間はもしかしたら短くなく、自分の脳が疲れてやりたいことはやり切れないことの方が多いかも。与えられた夜の時間を、有意義に使えることは少ない。

「じゃあおまえどうしたいんや」という話なのだが、私もわからない。「気持ちよく過ごせた〜」と思って眠れる夜はない。だいたい時間がきたからとか、眠くなったからとかで寝るのだ。「眠りにつく」という明確な終わりが1日にはあるのに、なんで有意義に使えないんだろう。

最近は、大好きだった内省の時間も「この時間が何を産んでるんだろう……」と思ってうまく考えられなかったりする。効率厨になりたいわけでもないし、なれてないし、ただただ時間の経過に焦っている。

やっぱりわたしには「全て自由時間」な生活が向いていないのでは?という説もある。学校なり仕事なり、時間の決まった組織にいることは不自由ではあるけど、時間の使い方の責任を肩代わりしてくれるよなあ。

とか、考えています。みなさんはどうですか。

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