常態化した非日常はエキサイティン? その①

高校2年の夏、母が死んだ。

第一発見者、俺。

親父を母が倒れているリビングに呼んで、必死に涙を捻り出す俺がいた。なにやってんだよ。最低の息子だな、まったく。

母が過度のストレス(母の実家での金銭トラブルが原因?)で拒食・偏食になり、言動諸々がバーニングする状態になってから5年程、俺は母を半分はいないものとして扱っていた。

グロテスクなくらい痩せ細っていく母を現実として受け入れなかった。

たまに我に返って、俺はなんて残酷な野郎なんだって自分を責めたけど俺はもう母のいる現実に帰って来ようとはしなかった。

それは母の死から○年以上経った今でも。

母が死ぬ前夜、ちょっぴり母が戻ってきた。優しい口調だったが呂律が回っていなかった。何かを感じ取った俺はやけに落ち着いた口調で「明日部活休もうか?」と言った。そうしたら「ううん、いいの。でも今夜は一緒にいて」と母は言った。

その後一緒にテレビを観た。なでしこジャパンの試合が画面に映っていた。ソファに座る俺と足下でうずくまる母。「うぅ…ぅ…」とうめき声を漏らしていた。「大丈夫?」と声を掛けると微かに大丈夫と発したが、涎をドバドバ垂らしていたので「救急車呼ぶ?」と聞いた。いらないらしい。

しばらくしたらスースーと寝息が聞こえたので俺は部屋に戻った。

翌日の朝、母が生きているか確認しに行く(信じられないかもしれないが毎朝の日課だった)と母は冷たくなっていた。うつ伏せになっていたため母の顔面は紫に変色していた。

小学校の頃から俺は酷く神経質で臆病、妄想することといったらネガティブなこと。子どもにとってその究極は親の死になるのかな。何百、何千と俺は脳内で親を殺している。

それが目の前で起こり「ついにこの時が来たか」と思った。「終わった」とも思った。

人ってやっぱり死ぬんだ。泡みたいにとまではいかないけど。

俺は、母の言うことをほぼ信じてなかった。残酷だけど。真に受けてたら多分俺がぶっ壊れてたしね。防衛本能として母をシャットダウンしたんだろうなと、今思えば。

まったく、血も涙もねぇよな。

つづく

※本文は死者への冒涜を意図しているわけではございません。気分を害された方にはお詫び申し上げます。又、この件の法的問題に関しては既に解決しておりますことをご了承下さい。