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墓場珈琲店13。

ところどころ穴の開いた薄灰色の壁と、金属製の檻に囲まれた狭い部屋の中、オレは煙草をふかしていた。

息を吐くと、灰色の煙が視界に映った。
タバコの煙は部屋に溜まり、視界が遮られるが、目を瞑ったので気にならない。オレは首を曲げ、隣から聞こえる怒鳴り声に耳を傾けた。

「……だーかーらー、俺は無罪だって! 何回言やぁわかんだよ!」
「何かしらやらかしてる奴は、全員そう言うんだよ」

囚人が怒鳴り、看守が適当にあしらった。
オレは口元に笑みを浮かべた。

そういや、オレがここに来た時も、こんな感じだったっけ。
懐かしい。オレは右手で煙草を掴み、唇から引き抜いた。口の中に、物欲しげな感覚が残っている。

……今から死ぬんだな、オレ。

壁にもたれ、尻から地面に滑り落ちた。
冷たくてかたい、灰色の床に落ちても痛みはなかった。
眉間が熱い。

視界がグラグラ揺れ、幻覚が見えるんだろう。
でも、瞼を閉じているから、幻覚が見えているかわからなかった。瞼の裏には、ひたすら灰色が映っている。


何十年か前のあの日も、灰色の煙があたりに満ちていたっけ。

ずしりと重い感覚。
それを振りかざすたび、不快な悲鳴が上がった。

「……クソガキが……テメェなんて、産ませるんじゃなかった」
「アンタ、自分が何やってるのかわかってるの!?」

喚く口を閉じるように、オレは奴らの頭にバットを振った。

まずは親父だった。
口から煙草の包みがこぼれ、細い白目を剥いた。
それを見た母は、「アンタのこと、ちゃんと育てただろう!?」。

「クソアマが何言ってんだよ。テメェなんかの所に生まれたせいで、オレの人生メチャクチャだ!」

オレは親父が死んだ後も、母の前で何度も何度も親父を殴った。
手が血に濡れる感覚は非常に心地よかった。
それと同時に、冷たくて重い何かが胃の中に沈むような感覚もあった。

「アンタは一度でもオレの顔を見たか!? クリスマスプレゼントをくれたか!? オレの誕生日を覚えてるか!?」
「……ああ怖い怖い、こんな子なんて……」

奴はオレの話を聞いていない。
オレは思わずバットを母に向かって投げてしまった。

それは頭に命中し間欠泉のように血を拭き出した。
父の吸っていた煙草の煙が、濃くなった気がした。


灰色の所々錆びた建物を前に、オレは男と言い争っていた。

「だーかーら、オレは無実っつってんだろ!!」
「……バカ言え、監視カメラにちゃんと、血の付いたバットを振りかざすお前の姿が映ってたぞ」

クッソ、監視カメラあったのか。
流石に言い逃れはできなさそうか?

オレは舌打ちをして、「だからなんだ!」と叫んだ。

「オレは無罪だ! なのになんでこんな所に入んなきゃなんねぇんだよ⁈」
「有罪だからだ」
「人を殺した程度で、なんで有罪なんだよ!!」

唾が飛んだ。
てっきり、看守はオレのことを怒鳴ると思っていたが、彼は沈黙するだけだった。オレの肩に置かれた手の力が、少し強くなったように感じた。

烏が腑抜けた声で、オレをバカにするように鳴いた。

「クッソ、どいつもこいつも……。無罪だっての!」
「囚人に無駄口を叩く権利はない、黙れ!」

ハァ、権利?

オレは口を歪めた。

それがあることで誰が得するんだよ?
オレは得するのかよ?


オレは両親を殺して、無期懲役になった。
それで、この刑務所に入れさせられた。
刑務所には、気の合うヤツがたくさんいた。

全員オレと同じかそれ以上に重い罪を犯していて、粗野だ。
薬物取引とか、連続殺人とか。更生するつもりの奴なんて、一人もいない。

むしろ、自分の罪を誇りに思っているほどだ。
余暇の時間は決まって、己が罪について語り合った。
看守は誰も咎めない。

まともな奴は誰も、オレを見ようとしない。


そうやって、グダグダ囚人生活を送るうち、オレは退屈になってきた。

死ぬか。
そう思ったのは、かなり唐突だった。

犯罪者仲間のほとんどが老いで死に、若いオレだけが残った。
もう誰も、オレのことを見てくれる人はいない。

実行に移すのは簡単だった。
刑務所で横行している煙草を数本、まとめて飲むだけ。
これで死ねる。

そしてついさっき、実行した。
ありきたりに走馬灯が映って、意識はもうほとんど残っていない。

そして、オレは死んだ──




──と思ったのに。

なんでまだ、意識が残ってるんだ。
しかも、口には一本の煙草が刺さっている。香しい臭いとともに煙が昇っていた。

「……お客さん、ご注文は?」

女の声が聞こえた。

その女は痩せ細っていて、今にも死にそうである。
オレは首を鳴らし、「誰に向かって口きいてんだ」。

「ひぃっ!?」

声の主は声を裏返した。
オレは煙草を口から放し、息を吐いた。

「マ、マ、マスター! お客さんが暴れています!」

彼女が叫ぶと、まわりにどよめきが広がった。
今度のオレが吐き出した息は、ため息に近かった。
オレは暴れてなどいない。

彼女はオレのことを、まともに見ちゃいない。

ようやく死ねたと思ったのに。
死んでも、誰もオレのことを見やしないのか。

そう認識したと同時に、オレは数十年ぶりの殺意を覚えた。
激しい怒りに、悲しみと、より本能的な要素を加えたような感覚だ。

「……クッソがよ!!」

オレはポケットに手を突っ込んだ。
囚人服のポケットの中には、なぜか拳銃が入っていた。それを、女に向けて構える。

奴はオレに背を向けていた。
引き金に指をかけると、妙に冷たかった。重くはなかった。

「……だれも、オレの見やしねぇ! こんな世界、オレはいらねぇ!」
「この店では」

引き金を半分引いた、まさにその瞬間。
落ち着いた低い声が聞こえ、オレの唇に煙草が当たっている感覚が消えた。

オレは唖然として、視線を女から近くに向ける。
男が立っていた。

「……煙草禁止だ、お客さん」

彼は、少し皺のある初老だった。

時間が、ゆっくりと流れた。
拳銃の銃口は、未だ女に向いている。
オレは前後不覚のまま、右腕を降ろした。

そして、左の手掌を自分の目に当てた。

「飲みな」

彼はそう言って、オレに白いマグカップを渡してきた。
何が何だか分からずきょとんとしていると、彼は「周りを見ろ」と言った。

それで初めて、ここがどういう場所なのか気が付いた。
何人も人がいて誰もがコーヒーを手に持っていた。
煙草の臭いとは違う、繊細な匂いが立ち込めていた。
逆に言えば、全部、彼もといマスターに言われるまで気が付かなかった。

自分のことを見て欲しいという以前に、
オレはまわりのことを見ていなかったのか。

「……」

オレはマスターを見た。
彼はオレの煙草を持っている。その先端から、ほとんど灰色の煙は出ていないようだった。

少しコーヒーに口を付けた。
苦くて熱くて、少ししょっぱかった。


その味を体感することで、ここにきて良かったと思えた。


オレの体が、光となって消え始めていた。
今度こそ、オレは死ぬのだ。

「……オレは、有罪だ」

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