見出し画像

トロッコ問題Ⓒ。

 ねぇ、落ち着いて聞いて欲しいんだ。私はどうすればよかったと思う?

 いや、ごめん。これを読んでいる君はきっと、何も知らないもんね。だから私が、かいつまんで説明するよ。

***

 私はね、元々トロッコの工事員だったんだ。女なのにって思うかもしれないけど、力には自信があったからこの仕事を選んだ。

 そして実際、仕事は上手くこなせていた。この仕事をやっていく中で恋人も出来て、順風満帆ってこういう事を言うんだなって思ってた。

 でも、それも長くは続かなかった。あれはそう、6月のジメジメした日に起きた出来事だた。

「……ねぇ、なんだかうるさくない?」                「そうかなぁ?」

 私は地下、トロッコの工事中に彼氏のユウ君にそう尋ねた。彼氏のユウ君は結構太っていて、耳が遠い。なのであんまりアテにはしていなかったが案の定、彼は音に気が付いていなかった。

 最初は私も空耳かと思っていた。でも、段々と音は大きくなってきていた。これは聞きなれたトロッコの音である。しかし……

 ……時間と、音量がおかしかった。この時間にトロッコが来ることはあり得ないし、こんなに大きな音が出たことはこれまで一度も無かった。   

「ねぇ、絶対おかしいって……」

 そう言って後ろを振り返った時、私は気が付いた。

 ……トロッコが、凄まじいスピードで私達に迫ってきている。その距離およそ100メートル程度。

 私は突発的に、ユウ君と一緒に線路から飛びのいた。ふぅと息をつき、困惑するユウ君に説明する。

「……ホラ、後ろから来てたでしょ? だから危ないなって」      「ああなるほど、だからか。ってあれ……」

 その時、ユウ君の顔が青くなった。どうしたのと私が尋ねるより先に、彼が言う。

「線路の先に三人、作業員がいる……! このままじゃひかれちゃうよ! オーイ! 危ないぞ!」

 ユウ君と私は線路の先にいる作業員に大声を上げた。しかし彼らは作業に没頭しているせいで、私達に気が付いていない。

 このままじゃ、作業員たちはひかれてしまう。 

 そう思った時、私は一つだけ解決策があることに気が付いてしまった。まだ、トロッコは私達の前を通過していない。

 今私が、ユウ君を押し出せばトロッコはユウ君にあたって止まるだろう。ユウ君の命と引き換えに……

 選択肢は二つに一つ。私が彼氏を押し出して見ず知らず三人を助けるか、それとも押し出さずに三人を見殺しにするか。

 私が考えたのは、ものの刹那だった。


 そして、私は不十分な答えを出した。

「……バイバイ、ユウ君」

 私は躊躇を残したまま、ユウ君を線路に押し出そうと手を伸ばした。私の意識は、とてもとても混濁していた。これが正しい事なのか、自分でも確信を持てていなかった。

 だから、人数の利に従おうとした。こんな状況下になると、不思議な事に頭がパンクする。『自分がどうしたいか』なんて、視野の外だ。ましてやこれが『正しい事なのか』など、頭の片隅にも置かれていない。

 しかし彼に手を触れたその瞬間、私の脳内に走馬燈が浮かんだ。

 えっという顔をして、ユウ君はトロッコに立ち塞がる。困惑を露わにした表情が、私の胸をギュッと締め付ける。何が起きたのかさえ分からず、そのままぐちゃりと血が飛び散る。

 私が彼を押すと、ユウ君は死んじゃうんだ。私の所為で。

 心臓が高鳴る。あと数センチ、たった数センチ手を伸ばせば全ては『終わる』のに。あと数秒の話のはずなのに。私の視界の端が赤く染まって、どうしようもなく体が熱くなってしまう。

 じゃぁ、手を引っ込めるの? その選択肢が脳内に浮かんだ時、また走馬灯が過った。

 絶叫がトンネル全体に響き渡って、三人の作業員が死ぬ。私が『見捨てた』せいで、死ぬ。彼らの親、兄弟を悲しみの渦の中に閉じ込め、私だけが悠々と生き延びる。

 私が彼を押さないと、三人以上の心が死んじゃうんだ。私の所為で。 

 私は首を振った。たらりと汗が首筋を伝い、私の体は嫌な寒気に襲われる。トロッコの轟音が変にゆっくりに、それでいてやけに小さく聞こえた。

──ユウ君の居ない世界なんて、楽しくないんだ。            ──きっと、昔の生活には戻れない。

 私はもう悟っていた。ユウ君の事を突き飛ばしても、突き飛ばさなくても、私はきっと『死ぬ』。どう足掻いても自分で自分を責めてしまう。

 ……なら、後悔はしたくない。

 そして、私は答えを出した。

「バイバイ、みんな」

 私はユウ君の背中から手を離し、私自身が線路に身を投じた。反射的に手を伸ばすユウ君が、よく見える。ガンという鈍い音がして私の頭は線路にぶつかり、それだけで意識が遠のいた。

 トロッコの轟音がやけに遅く、美しく聞こえた。あたかも私をあの世に送り出す鎮魂歌のように、優雅に近づいてくる。

 頭の方で、鈍い感覚がした。生暖かい液体が飛び散って、私の視界が真っ赤に染まる。まもなく意識が遠のき、私は静かに目を瞑った。

 ねぇ、私はどうすればよかったんだと思う? ユウ君を突き倒していれば、もっとラクになれたのかな?

 ……それとも、私はどうしようもなかったのかな? あはは、こんな事君に言っても仕方ないもんね。

 私。私は一人殺して、四人を生かした。

 それだけの話だよ。じゃ、バイバイ。

***別の選択はコチラ***



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?