「遺影」について思うこと
父の13回忌を迎えます。
父が亡くなった時、母から小さなメモを渡されました。
間違いなく父の字でした。
中身は葬儀に関する希望が書かれていました。
そして、メモには元気な頃の父が写っている写真が添えられていました。
父が希望する「遺影」と受け取りました。
父はがんで亡くなりました。
写真は亡くなる頃の人相と違い、元気な表情の写真でしたので
「これ大丈夫?」と葬儀の打合せのときに家族と心配したくらいです。
ところが実際は、葬儀中からその柔らかい表情が「父」としてみんなに認識されていきました。
今は、完全にその写真が「父」です。
闘病している姿を見せたくないという父でした。
そう考えると、父の作戦は大成功でした。
一方、知人のお父様は写真が見つからず、ゴルフのときの集合写真を使用しました。
ご家族は、本当にこれで良かったのか…と今でもおっしゃっています。
亡くなった後に、家族が選んだ写真が気に入らないからと思ってもどうすることもできません。
そして、無表情の写真ですと印象も変わってしまいます。
私が主催しているシニア勉強会では、先日「プロに写真を撮ってもらう会」を札幌の大通公園で(オリンピック準備の中)開催しました。
強いリクエストをいただき、2回目の開催になります。
カメラマンさんが非常に上手な方で、皆さん笑顔で雑誌の表紙になるような出来上がりになりました。
その中のお一人からの感想
「今まで色々あって笑顔の写真がなかった。昔の自分に戻れた気がして涙が出た…」
シニア世代になると写真=遺影…というイメージです。
もちろん今お伝えしたとおり「遺影」は重要です。
とはいえ当然ですが、写真の使い方は人それぞれです。
使いみちを遺影にだけ特定してしまう必要はあるのでしょうか…。
前回ご参加なさった方の中に、ご自宅に写真を飾っていると聞きました。
笑顔の自分を見ると前を向けるようです。
私も撮影してもらった写真は、SNSのアイコンなどに使用しています。
このNoteの写真も前回撮影してもらったものです。
「プロに写真を撮ってもらう会」これからも続けていきたいです。
カメラマンさんについてのご紹介はこちらから↓
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