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ゲーム会社の歴史8 日本ファルコム編 アクションRPGの始祖イース


日本ファルコムはコナミ、バンダイなどと違い、零細ゲーム制作会社から始まりました。その点ではスクウェアと同系統の歩みを辿ったトップ企業です

そんな日本ファルコムの歴史を振り返って見ます。



日本ファルコム誕生

1981年

日野自動車のシステムエンジニアであった加藤正幸がタイ駐在中に出会ったApple IIに衝撃を受け、脱サラ後の1981年3月にコンピューター導入時のアドバイザー企業として創業。同年7月より東京都立川市でアップルコンピュータの代理店コンピューターランド立川を開設する。


1982年

ギャラクティック・ウォーズ1発売

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SFシミュレーションゲーム・PCゲームソフト

本作は以降多数のヒット作を手掛ける木屋善夫の処女作だった。

当時、木屋はまだファルコムに入社しておらず、コンピューターランド立川に入り浸る

常連客

だったが、木屋は次第に自作のゲームソフトを持ち込むようになり、これを加藤がディスプレイやプリンターなどと物々交換することで引き取り、店頭販売していたというエピソードがある。当初のファルコムはシミュレーションゲームやシューティングゲーム・ゴルフゲーム・アドベンチャーゲーム・西洋占星術ソフト・ワープロソフトさらにはアダルトゲームも制作・販売しており、特定ジャンルへの注力はまだ見えず模索段階にあった。また

1983年10月

に発売された『バードランド』のような持ち込み企画も少なくなかった。

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1983年(昭和58年)11月にアダルトゲームの『女子大生プライベート』を発売した。同年12月には、木屋義夫が手掛けたファルコム初のコンピューターRPGである『ぱのらま島』

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をリリースした。まだコンピューターRPGがマイナーなゲームジャンルだった折に発売された『ぱのらま島』は国産コンピューターRPGの最初期の作の一つとして数えられる。

1984年3月

アドベンチャーゲームの『デーモンズリング』を発売した。

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当時のPCアドベンチャーゲームは場面が切り替わるたびに線が描かれ、全ての線を書き終えてから色が塗られる「ライン&ペイント」式が主流であり、グラフィックが描きあがるまで長い待ち時間を要したが、『デーモンズリング』は画期的なほど高速でのグラフィック描画を実現し、当時のファルコムの技術力の高さを見せた。『デーモンズリング』について、のちに加藤は「ファルコムが最初に注目された作」と述べている。また同年には木屋善夫がファルコムに入社しており、木屋が「趣味で半年で作った」というコンピュータRPG『ドラゴンスレイヤー』を発売した。

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以降、木屋作品はドラゴンスレイヤー(ドラスレ)シリーズとして発売される。

1985年10月

ドラスレシリーズの第二弾となるアクションRPG『ザナドゥ』を発売した。

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『ザナドゥ』は40万本を販売し、国内のPC用ゲームソフト最多の販売記録を保持する。同作の大ヒットにより、「ハイドライドシリーズ (T&E SOFT) の内藤とドラスレシリーズの木屋」という構図で、木屋善夫は一躍スタープログラマーの名声を獲得し、これに伴いファルコムもPCゲーム業界での地位を確立した。



1986年

『ザナドゥ』の追加シナリオである『ザナドゥ・シナリオII』を発売した。なお『ザナドゥ』や『ザナドゥ・シナリオII』を含む、当時のPCゲームは自力でのクリアが困難な難易度に設定されていることが多く、そのため攻略記事を載せたゲーム雑誌が次々参入し売上を伸ばした。また、ゲーム雑誌にはゲームのビジュアルが掲載されるため、PCゲームの宣伝効果にもなった。このようなPCゲームと雑誌との協力関係と言える構図にファルコムは一役買ったという見方もできる。同年10月には『ザナドゥ』に次ぐドラスレシリーズの三作目として

『ロマンシア』

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別名「ドラゴンスレイヤーJr」
キャッチコピーは、「かわいさ余って、難しさ100%」
謎解きの要素が強いアクションアドベンチャーで、途中セーブが不可、間違った手順で進むと先に進めない(リセットで最初からやりなおし)など凶悪ともいえる難易度は雑誌などの攻略法が公開されるまでクリアーできないプレイヤーがほとんどだった。

※ロマンシアは以下のゲームに影響を与えていると思います

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1987年 セガ ワンダーボーイ モンスターランド



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1987年10月30日 ハドソン ビックリマンワールド


アドベンチャーゲームの『太陽の神殿』を発売した。

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『太陽の神殿』は国産PC用アドベンチャーゲームとして初の全編BGM付きを実現しており、この時期すでに音楽への力の入れようが見える作の一つであった。また同年、古代祐三がファルコムに入社しており『ザナドゥ・シナリオII』と『ロマンシア』の音楽を担当した。












1987年

イース発売

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見下ろし型アクションRPGとして多くのゲームに影響を与えた


例えば 任天堂ゼルダの伝説シリーズ

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スクウェア 聖剣伝説2もこのタイプだ

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第1作『イース』から始まり、現在までに9つの本編と、1以前に当たる物語でアドルが主人公でない番外編となる『イース・オリジン』の計10本のシナリオがゲーム化されている。またライセンス提供によって本作の世界観を利用した派生作品も他社から発売されている。



1987年 

ドラゴンスレイヤーIVドラスレファミリー 

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ドラゴンスレイヤーシリーズ4作目。
ファミコン、MSX、MSX2での発売。
PC8801などのメジャーPC機種での販売は行われなかった。


1987年 

ソーサリアン 

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ドラゴンスレイヤーシリーズ5作目。
1987年末にPC8801mkⅡSR用で発売。
ゲーム本体とシナリオを別にすることで、様々な追加シナリオでプレイすることができた。


1989年 

ドラゴンスレイヤー英雄伝説 

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ドラゴンスレイヤーシリーズ6作目。
これまでのアクションRPGから一転、ストーリー重視のコマンド選択型によるゲームに変更。オートバトルシステムなど、スムーズな進行が評された。


1991年 

ロードモナーク 

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ドラゴンスレイヤーシリーズ7作目。
これまでのRPGではなくSLGである。
ドラスレシリーズを冠しながら唯一ドラゴンが出てこないシリーズとなる。
なお今作のプラットフォームはPC9801シリーズ。約半年後FM-TOWNZ版販売開始。
PC8801などの8ビットパソコンでは販売されなかった。



1991年 

ドラゴンスレイヤー英雄伝説Ⅱ 

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ドラゴンスレイヤー英雄伝説の続編。
以後、ドラゴンスレイヤーシリーズから切り離され、
英雄伝説シリーズに独立する。
PC88シリーズ最終作。8ビット機種のソフト開発は終了となる。



2007年

英雄伝説 空の軌跡 3rd Win7/8

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2013年6月に次作の零の軌跡がWin版で発売された



2014年

英雄伝説 閃の軌跡II PS3/PSVita

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まとめ

やはりスクウェアと類似性があり、初期メンバーが有名人になる点など、零細企業が大企業になるエネルギー、偉大さを感じる

古代祐三さんはかなり認知度の高い音楽プロデューサーだろう

歴史を振り返って感じた事は

小さな会社が作り出したアイデアを大企業が模倣する

という図式はいつの時代もあるようだ

また、リメイク・模倣だけ出す方が利率が高いのも事実(カプコンがモンハン以降革新的作品を出さなくても、シリーズとリメイクで最高利益を出しているように)

そうなると新しい事に挑戦しようという人は減るはずだ

挑戦が減り模倣だらけになる世界は嫌だな


追記

パクリ言い出すとドラクエはウィザードリィとウルティマのパクリになるし

模倣は技術進化していくために避けられない事なのでちょっと批判し過ぎましたね

丸パクリはダメです

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