【今日の本質】緑に色はあるのか

"colorless green ideas sleep furiously( 色無き緑の考えが猛烈に眠る)"という文がある。これはノーム・チョムスキーという言語学者が、文法的には正しいが、意味としては通らない、そして過去には発話されなかったであろう文の一例として挙げたものである。

チョムスキーは人間が言語を簡単に習得できるのは、「普遍文法」が脳にあらかじめインストールされているからであるとの説を提唱している。以上の例は人間の発話コーパスと文法的な分の集合を同一視できないことを通して、統計的な言語モデルの限界を指摘したそうだ。

言語や知性は大量のデータによって生み出されるのかはエロゲーにおいてもしばしば取り上げられる極めて重要な問題であるが、それはさておき『ギャングスタ・リパブリカ』のOP『モラトリアムクラスタ』には以下のような歌詞がある。

偶然手にした刃で
正しさの是非を決めよう
色をわける
地図を区切る
理由を(つけて)
意味を(つけて)
作詞:松島詩史 作曲:中沢伴行 編曲:中沢伴行、尾崎武士. 歌:柚子乃

地図を区切ることに恣意性があることは「宇宙からは、国境線は見えなかった。」との言葉に代表されるように、国際平和の文脈でしばしば語られる。色の区別にも文化的背景が絡むことが「エスキモーの雪の語彙」「四十八茶百鼠」のような言葉でよく語られる。color mapの言葉があるように色と地図にはある種の連続空間を人の作為によって切り分けるという共通性がある。

そしてこの歌詞は「色」「地図」「正しさ」を併置することで、そこにある決断的な「刃」の存在を示唆する。

そもそも我々の認識する「色」にも様々な恣意性が存在している。人間の認識する「色」は錐体細胞の反応から定まっている。さらに言えば実は葉の緑色というものは緑色の光を発光しているわけではなく、太陽光のうち赤のスペクトルを吸収しているという事実から生まれる。

ここにきて"colorless green"の真の意味が見えてくるのではないだろうか。

この意味に気づけないのであれば「本質」からはまだ遠いであろう。

【本日の本質】colorless windとかいうガチの名曲は聴いた方がいい

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