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毒の反哺 第7話 鈴木さやか

 鈴木さやか、25歳。凛の母親。スナック勤務。高校2年の時に妊娠が発覚、中退。17歳で凛を出産。今は母親(凛の祖母)が家を出て、凛と二人暮らし。
 
 6月11日㈪18:30。
 出勤の身支度をしていたら、インターホンがなる。

『あー、面倒くさい。無視無視』
「こんばんは。児童相談所の者です。鈴木さん、いらっしゃいませんか」
『あー、もう、また?今出ないと、また面倒くさいことになりそうだな』
「は~ぃ……、何ですかぁ?」

 しぶしぶドアを開けると、スーツを着た男と、前に家庭訪問に来た市役所の女が立っていた。

「凛ちゃんのことで、お話させていただきたいのですが、少しお時間よろしいですか?」
「出勤前なんでぇ~、手短にお願いしますねぇ~」

 こういう奴らには、わざとかったるそうに、しゃべってやるんだ。

 あんまり中に入れたくないんだけど、玄関の外だとまた近所の奴らがジロジロ見るから、とりあえず中に入れた。玄関の散乱した服やごみやペットボトルを避けながら、リビングの自分の定位置に座ると、二人は私に向かい合うように、その辺りにある雑多なものを少し脇へ避けて座る場所を確保し、廊下にはみ出しながら女が男の後ろに控えるような形で座った。

「私は、児童相談所の高田淳史といいます。こちらは、市役所の広瀬さんです。今日は凛ちゃんの虐待通告があって参りました」

「は?私、何もしてねーし。凛はどこにいるんだよ?」

「先ほど、公園で倒れていたところを保護しました。話を聞くと、土曜日から食事をとっていないことと、軽い火傷を負っていることがわかりました」

「私がやったんじゃねーよ。自分で勝手にお湯こぼしたんだよ。食いもんなんて、その辺にパンとか、弁当とか置いてやってるし。いつも勝手に食べてんだよ」

 そう言うと、厚労省の虐待パンプレットやら、字ばっかりの書類を出してきて、『直接叩いたり怪我させたりしてなくても虐待にあたる』とか、ネグレクトがどうとか、心理的虐待がどうとか、小難しいことを説明し始めた。

『あぁ、めんどくせ。難しいことはわかんねぇんだよ。どうせ、私が悪いんだろ。はいはい、勝手にやってくれよ』

 ***

 こんなはずじゃなかった。私だって一生懸命やってるんだよ。私は、人より注意散漫で、勉強もできないし、友だちもうまく作れない子どもだった。ADHDとか言われたっけ。

 父親は家庭に関心のない奴で、長期出張とか単身赴任たんしんふにんとかで、家にはいなかった。もう顔も思い出せない。

 母親は私と顔を合わせれば、『出来が悪い。無能だ。生きている価値もない』と言うし、私が話しかけてもほとんど無視をした。『外に出ると迷惑がかかるから家に居ろ。誰とも遊ぶな』と言われ、私はいつも孤独だった。私の身の回りのことはすべて母親が完璧にやっていて、学校の役員をしたり、地域のボランティア活動に参加したり、外では『評判の良い人』だった。

 中学生になって、初めて友達ができた。そいつらは、私と一緒で勉強ができなくて、親が嫌な奴で、責められたり馬鹿にされることもなくて、気楽だった。楽しい事だけをやってればいいんだって気が付いた。髪を染めたりタバコを吸ったりバイクに乗ったり。
 母親がたまに学校に呼び出されてたけど、外面そとづらの良い母親がさおな顔で、先生にペコペコ頭を下げているのは痛快だった。その頃には母親にどんな暴言を吐かれても、痛くもかゆくもなかった。
 高校には行けと言われたから、行けるところを探してもらって、家から遠い学校だったけど、何とか進学できた。高2の冬頃に、急に体の調子が悪くなって、友だちに妊娠してるんじゃない?って言われたけど、考えるのも面倒くさいし、まぁ多分違うだろうと思って、放っておいた。でも、だんだんお腹が膨らんできて、怖くなって、ついに母親に話した。その時、母親に何て言われたか覚えてないけど、まぁ、いつもの感じだった。

 そのまま病院に連れていかれて、33週とか言われた。ろすこともできなくて、高校は中退して仕方なく出産した。凛が生まれて、小学校に上がるまでは、母親が凛の世話をしていた。私が子どもを育てられるわけがない。私と母親は相変わらず折り合いが悪く、ある日突然母親はこう言って出ていった。

「なに、この部屋! あんたは、どうして、こう散らかすの? リビングまで散らかされたらたまったもんじゃないわよ。私が仕事終わりに、保育園に凛ちゃんを迎えに行って、帰ったらご飯食べさせて。あんた、昼間は暇なんだから、せめて片付けと洗濯物を取り込むぐらいはしなさいよ。あんた、凛ちゃんの母親でしょう? 母親らしいことしなさいよ! もう限界。私、出ていくから、後は自分でやりなさい!」

 その後、母親が本当に出て行って、どこで暮らしてるのかも、連絡先も知らない。

 母親らしくするって、どうやるんだよ? 掃除のやり方なんてわかんねぇよ。料理なんてしたことねぇよ。ごみの捨て方もわかんねぇよ。だって、これまで全部、あんたが勝手にやってたじゃん?
 
 私の頭の中はいつも、色んなことがこんがらがっていて、うまく整理できない。何を優先してやればいいのか、何をどうやればいいのか、どうやったら片付くのか、うまくできない。
 『あ—―――、面倒くさいっっ!』
 
 凛はダチみたいに思ってるし、嫌ってなんかないし、いじめてもない。一緒の家に住んで、寝て起きて、生きてりゃいいじゃん? もう自分のことは自分でできる年だし? 私は、ちゃんと働いてるし、いるもんは買ってやってるし、なんでそんなに責められなきゃいけねぇんだよ!

 ***

 浩平こうへいからスマホに着信が来た。仕事の迎えが来たんだ。
「あのぉ~、つまりぃ~、凛はひとまず、しばらく預かってもらえるってことだよねぇ? じゃぁさぁ、それでいいよ~。てか、仕事の迎えが来たみたいだからさぁ、もう帰ってくんなぁい?」
 書類にサインをすると、二人は帰っていった。
 
 肌の露出が高い服に着替え、鍵を掛け外に出る。黒塗りの外車の窓から、だらりと垂れた腕の先には、煙草たばこの煙がくすぶっていた。
「浩平、ごめん。ちょっと人が来ててさ。遅くなった」
「さっきの二人組だろ。あれなに?」
「児相のやつら。凛が連れてかれた。」
「また、児相かよ。もうそのまま施設にでも入れろよ。こぶつきより、モテるんじゃねーの?」
「確かに、それいいかも。その方が凛も私も幸せなんじゃん? てか、今日オーナー来るんだっけ? だりぃ~」


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