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パラサイトな私の日常 第13話:弱い自分と決別

「侑は今……?」
 
 加奈と見つめあう姿勢で数秒の沈黙。加奈は口を開いた。
 
「お葬式が終わってお父さんが東京に帰ると、侑は家に引き籠るようになって……私ともしゃべらなくなったんです。時々、頭をきむしったかと思うと、体操座りをしてずっとうずくまってる……。掛かりつけの心療内科に連れて行こうと考えたんですが、受診を拒否するんです。母と一緒に、できるケアはしていますが、どんどん衰弱して……見ていられなくて。食事も……今、自宅に食事を届けて一緒に食べているんですけど、私に気を遣って少し手を付ける程度で、ほとんど食べません……。このままじゃ、侑が死んじゃう……」

 加奈はワッと泣き出した。この2週間、そんなことになっていただなんて……。『侑に裏切られ、ひどいフラれ方をした』と、勝手に解釈して逃げていた自分を呪った。しばらくして落ち着くと、加奈は続けた。

 「私は、侑が好きです。ずっと……12年間ずっとそばにいて侑だけを見てきました。侑を想う気持ちは、悠さんにも誰にも絶対に負けない自信があります! でも……私じゃダメなんです。侑を救いたくても救えない……。本当はあなたなんかに頼りたくない。でも、このままじゃ侑が死んじゃう。だから! ……だから、悠さんにお願いします。侑を助けて……。お願い……

 加奈は、唇を噛みしめ、目に涙を浮かべながら、最後は弱々しくうた。

『私に何ができるっていうの? 私なんて、ただ平凡に生きてきた冴えない女。加奈さん程、同じ時を長く過ごしたわけでもない……。侑に出来ることなんて……』
 
 言い訳と自己否定と恐怖と……。再び自信のない自分が舞い戻ってくる。ただ下を向き小さく震えるだけの悠は、加奈の絶望と幻滅げんめつ眼差まなざしを感じていた。
 
「私が伝えたかったのは、それだけです。お時間をとらせて、すみませんでした」

 ぺこりと頭を下げると、千円札をテーブルに置いて『これ以上は時間の無駄』と言わんばかりに、走り去っていった。

 くもった窓をぼんやりと見つめたまま、これまでのことを思い出していた。
 『私が侑にできること……。私にしかできないこと……』
 侑の笑った顔、悲しそうな顔、不機嫌な顔、嬉しそうな顔が次々と浮かんできた。
 
 『私、行かなきゃ』
 悠は会計を済ませ駅に向かって走った。
 
『侑はいつだって私を待っていた。「私なんて……」なんて言ってる場合じゃない。「私」じゃないとダメなんだ。今度こそあの子の傍に居てやらなきゃ!』
 

 自宅に着くと、母親の小言は無視して、シャワーを浴び身支度みじたくを整えた。

「お母さん、今から友だちの家に行ってくる。もしかしたら、今日明日、帰らないかもしれない。心配いらないから」

「こんな時間から? どこの友だち? 誰? 名前は? 職場の人なの?」

「また落ち着いたら話す……。とにかく心配いらないから」

 そう言い放つと、玄関から飛び出し高校時代の古い自転車にまたがった。母はまだ追いかけて来て、何か言っている。無理もない。これまで生きてきて、帰宅後に外出することなんてなかった。母にとって私は『小さな子どものまま』なのだ。もう一度、母の顔をしっかりと見て強い眼差しで言葉を放つ。
 
「大丈夫だから」
 
 母が初めて悠の言葉にたじろいだ。母の顔が妙に老けて見えた。『母も年をとったな』そんなことに今更気付く。

「また、あとで連絡するね」
 そうにっこりと笑って言葉をかけると、悠は自転車をこぎ始めた。
 月が綺麗な夜だった。

 先日二人が抱き合っていた場所に着くと、アパートの隣の古い一軒家に『瀬野せの』という表札を見つけた。インターホンを何度か鳴らすと、侑がのっそりと出てきた。ひどくやつれていた。悠を見るなり、ほんの一瞬だけ生気せいきを宿した瞳を取り戻したかに見えたが、また無表情に戻り、黙って悠を招き入れた。

 左手から加奈が出てきた。
「悠さん……。来てくれたんですね。さっき夕飯を持ってきたんですが……。私はもう帰るんで、良かったら侑と一緒に食べてください」

 悲しいぐらいに穏やかに加奈は悠に語り掛けた。
 
「じゃぁ、侑、私帰るね」
 そう言うと、加奈は帰っていった。

 玄関を入ると、すぐ右手の和室が祖母の部屋だったようで、綺麗な花が供えられた後飾あとかざりがまつられていた。12年前に会釈えしゃくを交わした時より、幾分歳を重ねた昭恵の顔がこちらに笑いかけていた。香典を置き、お線香をたてて手を合わせる。静かだった。侑は部屋の隅に片足を伸ばし、もう片方の膝を両腕で抱えて、そこに顔をうずめて座っていた。
 
「侑、大変だったね……。何も知らなくて……大変な時に何もできなくてごめんね。私、今度こそ傍に居るから

 侑からは、何の反応もない。顔を伏せていても、青白く頬がこけているのがわかる。そっと横に座る。何を言うでもなく、そっと。

 いつの間にか互いにもたれかかり、座ったまま二人して眠っていた——。

 夜が明けた。どちらともなく目を覚ます。悠は大きく伸びをして立ち上がった。
「侑、お手洗い借りるね」

 そう言ってその場を離れ、スマートフォンを確認する。2通のLIMEが来ていた。1通は加奈からだった。

〈困ったことがあれば、いつでも言ってください。しばらくは悠さんにお任せします〉
 
 『高校生なのに私よりずっと大人だ。情けない。もっとしっかりしなきゃ』気合をいれ、返信する。

〈知らせてくれたこと感謝しています。困った時は連絡するから助けてほしいです〉

 もう1通は陽介からだった。送信時刻は昨夜22時だった。
 
明日の時間どうする? 俺車で自宅まで迎えに行くよ。ちょっと遠出になるけど、景色の綺麗なレストランがあるんだ。そこでランチして、水族館でも行こうよ〉
 文面と共に、レストランの位置情報と情報サイトのURLが添付されていた。

 今日は3月14日㈯。
 
悠はホワイトデーに陽介と出掛ける約束をしていたことを思い出した。
『どうしよう。昨日から侑のことですっかり忘れてた……』

「侑? 私、ちょっとコンビニに行ってくるね。朝ごはん買って来るね!」

 そう言うと、外に出た。駅近くのコンビニエンスストアまで自転車を走らせる。その少し手前の路地に自転車を停めて、陽介に電話をかける。時刻は6:30になったばかりだった。

「おはようございます! 朝早くにごめんなさい! 昨日はLINEの返事が出来なくてごめんなさい」
「おはよう! うん、寝てるのかなと思って電話はしなかったんだ。ところで、今日9:30くらいに迎えに行こうかと思うんだけど……早いかな? もう少し遅くしてもいいよ!」

「あ……あの、ごめんなさい。きゅ・急用ができて今日出掛けられなくなったの。ほ・本当にごめんなさい」

「え? そうなの……? 急用って何かあった? あれ? 今、もしかして外にいる? 車の音が近いけど……」

「あの……実は……」

 話してもいいものかしばらく逡巡しゅんじゅんしたが、悠は昨日からのことをすべて話すことにした。陽介ならわかってくれると思った。

「え? じゃぁ今、侑君の家にいるってこと? 昨日泊まったの? 二人っきりで?」

「あ、泊まったっていうか……うとうとしてたら朝が来たというだけで……」

 嫌な沈黙が流れる。陽介と険悪な雰囲気になるのはこれが初めてだった。悠に緊張が走る。

「侑君のことは本当に気の毒だったと思う。でも幼馴染の子が傍に居るんだよね? 悠が一緒に居る必要ってあるの?」

「え? うん……わからない」

「とりあえず、そっちにいくよ。田河駅の近くだよね?」

「あ、うん……。あ、でも……」

「田河駅の近くにコンビニがあるみたいだから、朝8時にそこで落ち合おう」

「わ・わかった……」

 いつもなら悠の意見や気持ちを最優先に考えてくれる陽介が、今日は悠の都合も聞かず、強引に会う約束を取り決めてしまった。悠は電話を切ってからも、しばらく茫然ぼうぜんと立ち尽くしていた。陽介が怖かった。

 とりあえず自転車を押して、コンビニエンスストアまで向かった。ぼんやりしたまま、朝食になるようなものを買い、侑の家まで戻った。玄関の前で呼吸と気持ちを落ち着け、元気よく玄関を開ける。

「ただいまー。侑、帰ったよ」

 侑は、下はスウェットで上半身裸じょうはんしんはだかのまま肩にタオルをかけ、濡れた髪の毛からしずくをポタポタと垂らしながら、奥から出てきた。どうやら、シャワーを浴びていたようだ。悠は思わず目をそらし、玄関から左にあるダイニングテーブルのある部屋に入る。古いけれど綺麗に整えられたキッチンがあった。冷蔵庫を開けると、昨日加奈が持ってきたであろう夕食用のおかずが入っていた。

 ダイニングテーブルに先ほど買った朝食を並べていると、侑が上下スウェットのラフな格好で部屋に入ってきた。静かに席に着く侑。表情はないし、言葉も発しないけれど、悠が傍に居ることを嫌がっている様子はなかった。

「侑、何か食べれそう? おにぎりとパンとお味噌汁とヨーグルトとゼリー……それから……。……食べられそうなものあるかな?」

 侑はどこを見るでもなく、ぼんやりとしたまま。悠がじっと見つめていると、焦点しょうてんが合い、目が合う。ハッと我に返り、目の前にあったヨーグルトを食べ始めた。食べ終わると「ありがと」と消え入るような声で呟き、また昭恵の部屋に行ってしまった。

 悠も買ってきたおにぎりを食べ、ダイニングを片付ける。7:40になろうとしていた。気が重かったが行かないわけにはいかなかった。

「侑、ちょっと出てくるね! 昼までには戻るから」
 そう言って、再び自転車で約束の場所へ向かう。コンビニエンスストアには自転車で5分程度で辿り着く。自転車を端に停めていると、白いSUVから陽介が出てきた。
 
「あ……もう来てたんだ」
「うん。話がしたいから、ちょっと移動しない? 早朝から空いてるカフェを見つけたからそこに行ってもいい?」

 いつも通りの陽介だった。優しく、悠の反応をきちんと待ってくれる。悠はうなずいた。

 車を10分ほど走らせると、イングリッシュガーデンの美しいカフェに着いた。7時オープンと書いてある。陽介に先導されて悠は後ろを付いていき、一番奥の窓辺の席に座る。

「きれいなカフェだね……。私場違いな格好してる……」
 悠は部屋着のような格好で来ていた。

「大丈夫だよ。悠は何着てても可愛い……」
 陽介のそんな言葉も素直に喜べず、いたたまれない空気になる。
 悠はレモンティー、陽介はモーニングを注文した。

「侑君の様子はどう?」

「……相変わらず、ほとんどしゃべらないし、反応も薄いよ……。今朝は何とかヨーグルトを食べてくれた」

「そう……。俺もそんな風になったら、悠が世話をしてくれるのかな……」

「何言ってるの……」
 
「……これ……今日渡そうと思ってたんだ」
 そう言って、リボンのついた小さな箱を取り出した。
 
「誕生日に何も準備できなかったから、誕生日プレゼントとホワイトデーのお返しを兼ねてさ……。悠は侑君じゃなくて俺を選んでくれたんだと思ってた……。違うの?

「それは……そう。陽介と付き合うつもりでいたよ。でも……侑の話を聞いて、放っておけなかったの」
「うん、わかるよ。でも……それって友情? ……それとも同情? 親愛?」
 
「そんなこと……。侑は私じゃなきゃダメなの。今、放っておくと死んじゃいそうなの」

 陽介は悲しそうな顔で微笑んだ。

「俺だって、悠じゃなきゃダメだよ」
 
 悠はハッとする。『陽介は悠がすることは何でも許して認めくれる優しい人』『自分がいなくても大丈夫な人』そう勝手に認知していたことに気付く。
 
 「他の男……しかもつい最近まで好きだった男の世話なんてしてほしくないよ……。俺が『やめて』って、『今日は俺との約束を優先して』って言ったら、悠は俺を選んでくれるの?
 
「それは……」
 悠はどう答えたらいいのかわからなかった。陽介のことは本当に好きだ。自分を大切にしてくれる。この人を選べばきっと幸せになれる。でも……。

悠はどうしても、いま侑を放置することはできなかった。
「陽介のことは好きだよ。でも……侑のことを放っておけない」
 
 沈黙が流れる。注文したものが運ばれてきた。英国調のティーポットとカップ&ソーサーが運ばれてきた。鮮やかな紅い液体が注がれるのをじっと見ていた。アールグレイのいい香りが広がる。陽介は口を開いた。
 
「じゃぁ、この後、俺が侑君の家まで悠を送るけど、侑君に俺を彼氏だって紹介できる?

「えっ?」
 思わず大きな声が出る。
 
 『今は侑が正常じゃないし、こんな時に紹介しない方が……。——いや、違う。これは言い訳だ。私は侑に陽介の存在を知られたくないのだ

 心の中を見透かしたように陽介が続ける。
「だよね。悠は侑君に俺の存在を隠したいんだよね? ……それが悠の答えだよ
 
 紅茶を飲みながら、はらはらと涙がこぼれた。
 
「泣かしたいわけじゃなかったんだけどな……。どうせなら、嬉し涙が見たかったよ」

 陽介は最後まで優しかった。困った顔でおそらく味のしないモーニングをせっせと口へ放り込んだ。
 
「ごめんなさい……。ごめんなさい」
 悠はこう言うしかなかった。

 
 陽介はコンビニエンスストアまで悠を送り届けると『じゃあ』とだけ言って、走り去って行った。
 悠はそのまま帰る気にならず、ミネラルウォーターを購入し、イートインコーナーに座り、心を落ち着かせた。
 
 あんなに優しい陽介を傷つけてしまった。
 あんなに悠のことを大切に思ってくれた人の手を自ら放してしまった。
 
 『いずれ今日という日のことを後悔するかもしれない』
 
 それでも今、悠は侑を手放すことはできなかったと再認識した。ミネラルウォーターを一気に飲み干し、悠は自分の頬を両手でパチンと叩き、自転車に乗って侑の自宅に戻る。何事もなかったかのように元気な笑顔で。


☞☞☞ 第14話 レモンキャンディー ☞☞☞

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