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パラサイトな私の日常 第2話:12年前

 12年前9月、2学期のはじまり——。

 12年前、悠は終点『下河原しもかわはら駅』近くにある、河森かわもり中学校の3年生だった。人付き合いが苦手、いわゆる『コミュ症』の悠は、友人といえる友人もおらず『これが中学生最後!』と熱の入るイベントにも興味はなく、体育祭の準備に燃える同級生たちを横目に、ただひたすら邪魔にならないように影を潜め、小さくなって過ごしていた。
 
 夢中になれるものもなく、かと言って学校が終わってすぐに帰宅すると、学校生活やら受験やらを心配する母親の小言を聞くのも嫌で、学校近くの小さな公園で小説を読んで時間を潰してから帰宅していた。公園といっても、古びた幼児用の滑り台がひとつとベンチがひとつあるだけの空き地のような公園。すぐ近くに広くてきれいな公園があるため、この公園でこどもが遊んでいる姿を見たことがなかった。

 16:15に学校が終わると、自転車で公園へ移動し、17:30の『夕焼け小焼け』の音楽が流れるまで、ベンチで好きな本を読み、静かな時間を過ごした。誰にも邪魔されない自分だけの空間。そこが唯一のお気に入りの場所だった。

 ある日、珍しく先客がいた。小さな男の子が一人でサッカーボールを蹴って遊んでいたのだ。こんな夕方に一人でサッカー……。近所の子かしら? 一瞥いちべつし目は合ったものの、ふいと目をそらし、知らん顔をしてベンチに座った。男の子も悠が気になるようだったが、話しかける気はないようで、一人で壁に向かってボールを蹴ったり、滑り台を滑ったりして過ごしていた。

 夕焼け小焼けの音楽が流れ、帰る支度をしていると、男の子の祖母らしき人が息を切らしてやってきた。
 
「ゆうー、お待たせお待たせぇ! ごめんねぇ」

 男の子は荷物を持つと、女性のもとへ静かに駆け寄り、頭を撫でてもらいながら一緒に帰っていった。

『……あの子も ”ゆう” って名前なんだ……』

 それが、悠と瀬野侑せのゆうとの出会いだった。

 ***

 その日から毎日、その男の子はその公園に来た。毎日顔を合わせていると、お迎えの祖母らしき人もこちらの存在に気付き、会釈をし合うようになった。……が、ただそれだけの関係で、互いに会話をすることはなかった。
 ある時、ベンチの方にボールが転がって、その時初めて男の子が悠に話しかけた。
 
「い・いつも……よ・読んでるね……。……ほ・本が……す・好きなの?」

「う・うん……」

 互いにたどたどしい会話。せっかく話しかけてくれたのに、悠は気の利いた返しもできず、沈黙する。
 
「ふーん……」

 そう言い残すと、またボールを持って走り去ってしまった。
 
 小さな公園で、同じ時間を過ごす二人。話はしないものの、互いの気配は感じるし、同じ空間にいる感覚はある。でも、それが嫌じゃないのが不思議だった。普通なら、他人がいる場所でリラックスなんてできない。いつもなら、本を読む場所を新たに探すに違いないのに……。
 存在は認知しているのに互いに干渉しない、そんな関係が心地よかったのかもしれない。

 コミュニケーションが苦手な悠は、咄嗟の会話に弱い。
『今度話しかけられたら、名前のことでも話してみよう』
 人が苦手なくせに、次に男の子が話しかけてきた時のために話のネタを準備して、その機会を心待ちにする自分がなんとも滑稽こっけいだった。

 そのチャンスは間もなくやってきた。ベンチに座って本を読んでいると、男の子が絵本を持って、隣に座ってきたのだ。何を話すでもなく、静かに座って本を読む男の子。私はしばらく様子を見ていたが、話しかけるのは気が引けて、再び自分の本に目を落とす。静かな時間が流れた。夕やけこやけの音楽が流れると、二人とも本を鞄に仕舞った。お互いに顔を見合わせて、バイバイをする。そんなやり取りが3日ほど続いた。

 ベンチで一緒に本を読むようになって4日目、私がベンチに座って本を読み始めると、男の子はいつものようにサッカーボールを置いて、隣にちょこんと座った。この日は本を持っていなかった。私は静かに本を閉じた。
 
「今日は、本読まないの?」

「う……ん。お・お姉ちゃん、名前、な・何て言うの?」
 
「私の名前はね、”ゆう”っていうの」

 男の子の目が真ん丸になり、私の顔を見つめたまま、嬉しそうな顔が上下に動いた。

「あなたも、”ゆう”って名前なんでしょう?」
 
「うんっ! い・一緒だね!」

「私の名前の漢字はこう書くの」

 地面に木の枝で『悠』という字を書く。
 
「ぼ・ぼくはね、こ・こう書くよ」

 男の子は『侑』という字を書いた。
 
「難しい漢字なのにすごいね! よく知ってるね」

「じ・自分の な・名前だけかけるように、お・教えてもらった」
 
「そっか。 ”ゆう” 同士だね」

 その日から、侑と話すようになった。侑は、幼稚園の年長児で8月に6歳になったばかり。早生まれの私とは9学年違いとなる。事情があって、東京の両親と暮らせなくなり、夏休み中にこの街へ来て、祖母の家で二人暮らしを始めた。祖母は公園の向かいの工場で働いており、幼稚園の16:00お迎えのあと、祖母が残りの仕事が終わる間、この公園で待っているとのことだった。

 緊張すると少し吃音きつおんがでるようで、たどたどしい話し方だが、頭もよく、歳の割にしっかりした印象のこどもだった。そして、どうやら人には言えない事情を抱えているようだった。
 
「お・おばあちゃんに、自分のことあんまり話しちゃ ダ・ダメって言われてるんだぁ。で・でもおねぇちゃんなら、ちょっとぐらい
 、だ・大丈夫かなって」
 
 悠は人に詮索せんさくされるのがとても嫌なので、自分が人にすることはない。侑が話す以上のことを聞き出すことはしなかった。ベンチで他愛のない話をしたり、二人で静かに本を読んだり、侑がボールで遊ぶのを見守ったり……。
 夕方1時間半ほどの時間を二人で過ごすのが日課となった。そして、侑はいつも祖母からもらった『レモンキャンディー』を持っていて、会うたびに悠にも一つ、分け与えた。
 
 中学生と幼稚園児。傍から見れば、姉が年の離れた弟の面倒を見ているように見えたことだろう。でも、悠は面倒を見ているつもりはなく『同士』と会っている感覚だった。波長が合うとは、こういうことなのか。今まで出会ってきた人や家族とも違う、不思議な感覚を覚えた。
 
 ある時、侑に1冊のノートを見せた。それは、悠が密かに描き溜めていた、サルが主人公の4コマ漫画集だった。誰にも見せたことのない、ただの自己満足ノート。それを、侑に見せたらどんな反応をするか見たくなったのだ。侑はキラキラと目を輝かせて没頭して読み、そして時に声をあげて笑った。想像以上の反応だった。
 
「お・おねぇちゃん、すごいや! ま・漫画家になるの?!」
 
「いやいや……、こんなレベルじゃぁ、なれないよ……。これくらい描ける人、たくさんいるよ……」
 
「そ・そうかなぁ。こ・これ、めちゃくちゃ面白いよ。ゆっくり読みたいから、か・借りて帰ってもいい?」
 
 侑は、大事そうにノートを持ち帰っては、新しいのを描いてとまた持ってきた。ノートをもう1冊作り、新作を描き溜めては渡して交換するようにした。悠は侑を喜ばせるためだけに描いた。侑だけが唯一の読者だった。この時からこのノートは自己満足ではなくなった。

 やがて季節は汗ばむ晩夏から肌寒い秋となり、木枯らしの吹く冬と移り変わった。12月になると、さすがに公園でじっとして過ごすには寒さが耐え難いものとなり、17:30といえども辺りは暗くなるため、侑は祖母の職場の事務所で過ごすようになった。向かいの工場の窓から、侑が手を振ってきたことがある。
 私もついに防寒対策をしても公園のベンチで時間を潰すのは限界になり、また本格的に受験シーズンに突入したこともあって、公園には寄らず、学校の図書室で勉強をして帰宅するようになった。移動は学校と家の往復のみ。本を読む時間も漫画を描く時間もすべて、受験勉強に時間を費やした。
 侑と会わなくなって4カ月ほど経過した。
 
 気付けば春休みになっていた。受験が終わり、卒業式を終えても、高校入学の準備が忙しく、公園に行くタイミングがなかった。16時になると侑が公園で待ってやしないかと気になることはあったものの、自分のことでいっぱいで、侑に気を割く余裕はなかった。
 
 3月の終わり、やっと自分の時間にゆとりができて、急に思い立って、悠はあの公園に向かった。でも、侑はいなかった。その後も何日か行ってみたが、やはりいなかった。これまで自分が放置していたことは棚に上げ、気になっていたのは自分だけかと、むなしく寂しい気持ちになった。
 
 あの公園にたまたま自分がいただけ。時間つぶしに丁度良かっただけ。自分でなくても誰でも良かった。あの年頃の男の子がただの中学生に執着するわけもない。もう4カ月も会っていないのだ。侑はもう忘れているかもしれない。
『特別な存在と感じていたのは自分だけか……』そう考えるようになった。
 
 4月になり、侑は小学生、悠は高校生になった。互いにその公園に行く必要性がなくなった。
 約束をして会っていたわけでもない。連絡先も知らないし、互いの家も知らない。たまたま、都合よくお互いが居合わせただけ。もう会うこともないだろう。

 新生活のルーティーンができると、中学生時代のルーティーンは、いつの間にか忘れ去られた。


☞☞☞ 第3話 ほのかな想い ☞☞☞

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