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朝…目が覚めたら 第4話『母』編
「ねぇ、明日は何になると思う?」
現在9月の第3火曜日の夜。明日はあの日……。
就寝前の夫に話しかける。
「えー? んー。せやなー。また松島菜々緒さんがええな!」
「またそんなこと言って。それだったら竹ノ内竜馬がいいな!」
「おま……自分がなったってしゃーないやんけ。俺の身になってみぃ。せめて女性にしてくれ! 髭キスはもういややぞ」
「そんなこと言っても自分じゃどうにもならないし……」
「せや。どうにもならんこと言うてもしゃーないやろ。はよ寝るぞ」
「まぁそうだよね。おやすみ」
翌朝。
「ぎゃっっ! ど……ゆぅ……こと……」
1階の鏡の前に立つ私。夫が、急いで駆け下りてくる。
「どないしたんや! 次は何や! ……えええええぇぇぇぇ……」
鏡の前にいたのは昨年末に亡くなった私の母だった。
変化と言えば、見た目は私を30年程年を取らせた感じ。ただし体が重い。体重が重いというわけではなく、加齢による動きにくさによるものだ。そして身長が低い。
朝目が覚めたら、手はしわしわ、起き上がるのもしんどい、腰も痛い、足も痛い。階段を降りるのも手すりを持ってゆっくりでないと転びそうだった。声は私のままだが、口が開きづらくゆっくりとしか話せないので、結果声まで母とそっくりだ。
「今度はお義母さんかいな……。……にしても、ほんまもんみたいやなぁ。生き返ったみたいやわ……」
実の娘の私でさえも母にしか見えないのだから、夫が言うのはもっともだ。
早速、朝の支度に取り掛かる。(おそらく)73歳?のご老体がいかに動きづらいか正に身をもって知る。
背が低く、いつもの戸棚の食器が取れない。しばらく立って調理すると腰が痛い。足が痛く座りたい。指を細やかに動かせない。すべてにおいてどんくさい。そして段取り通りに事が進まないことにイライラしてしまう。
「キーッ!」
「どうしたんや?」
「上手くできなくて、もどかしいの!」
「そんなん言うてもしゃーないやろ。年寄りなんやから」
悪意はないとわかっていても『年寄り』扱いに腹が立つ私。
どうせなら、もう開き直って年寄りになりきろう!
「そうよ。年寄りなんだから手伝ってよ。2階に上がるのしんどいから子ども達を起こしてきて」
珍しく夫が起こしに行ったものだから、異変を感じて悠紀も智也も早々に降りてきた。
「今度はばあちゃんになったんやて?……うわっほんまや。ばあちゃんやん……。生きてるみたいや……」
「生きてるよ(私は)!」
「わかっとんよ。ばあちゃんが生き返ったみたいって意味」
「ホントだね。どっからどう見てもばあちゃんやん。
……あ、たっくん大丈夫かな……」
悠紀の言葉に狼狽する。そう、実は今回私が一番気がかりだったのはたっくんだった。たっくんはおばあちゃん子で、私の母のことが大好きだった。亡くなったのが急だったため、激しいショックを受けた。塞ぎこみ病院受診も考えたほどだった。やっと落ち着いたところだったのにこの姿を見たらどんな反応をするか……。家族間に沈黙が生まれる。ジュージューと卵が焼ける音だけが響いていた。
***
何とか最低限の朝の支度は終わり、時刻は7:00。
夫はこれまでで一番、行ってらっしゃいのキスに戸惑いを見せた。
智也は私が転んで骨折しないように気遣い、
悠紀は「たっくん、私が起こして、事情を話してこようか?」と気遣った。
「もう4回目の変身だからたっくんもわかると思うし、二人でゆっくり話すね」
悠紀に助けを借りようか迷ったが、いつも通り3人を先に送り出した。
ゆっくりと階段をのぼり、たっくんのベッドに腰掛ける。
「たっくん朝だよ。おはよう」
たっくんが目を覚ます。私の姿を見ると抱きついてきた。
「ばぁば! ばぁば! 会いたかった! 会いたかったよ!」
「うん……あのね……たっくん。私は……」
達也が言葉を遮る。
「ばぁば今日のために来てくれたんだね! 嬉しい!」
そう言うと、学習机の上に置いてあった1枚のお便りを私に見せた。
『三世代交流。地域の方と一緒に楽しく学ぼう』
日時は本日11:00~12:20。地域の高齢者や生徒の祖父母を招待して、一緒に工作をしたり歌を披露したりすると書いてあった。敬老の日にちなんだ学校行事だった。
「あの……たっくんあのね……」
「嬉しいな! ばぁばはもちろん来てくれるよね! 僕ね手紙も書いたよ。歌もね大きな声でいいね! って先生に褒められたんだよ!」
おかしい。たっくんはこんなに早口で人の言葉を遮って話したりしないのに。そして私の顔を懇願するような顔で見つめてくる。
『あぁそうか……』
私は悟り、母になりきる。
「うん。もちろん行くよ。たっくんのかっこいい姿を見に行かせてもらうね。」
それからたっくんは安堵の表情を浮かべ、いつも通り……いやいつも以上に朝の支度を張り切って済ませ、二人で朝食を済ませると、『母の体』を気遣って、洗濯や食器洗いなどを積極的に手伝い、元気に登校していった。
***
小学校まで子どもの足で徒歩15分。この体で車の運転は大丈夫だろうか。松島菜々緒の時は何も考えずに車を運転したが、免許証の提示を求められていたら困ったことになったであろう。『タクシーを使うか……』
その時電話が鳴る。由美子からだ。
「おはよー。今日も変身したかなと思って? 今度はハリウッド俳優とか?」
「由美子―! それはそれで面白いでしょうね! 今度はね……母なのよ……」
「え? 母って美奈子のお母さんってこと?」
今朝のたっくんの様子を伝え、小学校の行事に行くことになったことを伝える。
「私午前中は暇だから車出すよ。必要なものとかあるでしょ?」
そういうと早々に由美子が自宅まで来てくれた。親友とは有り難いものだ。
「うわぁ……。まんま、おばさんだね。これはこれでビックリ……」
由美子は地元も同じで母とも面識がある。
「まずは服もいるし、手押し車とか杖とかも必要じゃない? どうする? 靴はスニーカーでいけるか?」
母とは10センチくらい身長差があり、母が中肉中背といっても、どちらかというと細身の私の服は着られないだろう。
「杖か……。手押し車があれば帰りは歩いて帰れるかも」
「イスになるタイプの手押し車なら途中休憩もできるしね」
「でもアレって80歳くらいの人が使ってない?」
「うぅん……確かに。美奈子は今、何歳くらいなんだろう?」
「さぁ。母が亡くなったのが73歳だから勝手にそのくらいだろうと思ってたんだけど……。母は歩くのが遅くてたくさんは歩けなかったけど、杖も手押し車も使ってはなかったなぁ」
「まぁ行ってから考えよ」
由美子の車で、食品から生活用品まで揃う小規模のショッピングセンターへ向かう。まずは衣料品売り場へ向かった。おばあちゃんが着そうな服のコーナーへ行く。
黒地に紫やピンクの小花が幾何学模様のように散りばめられたテロテロした布地のトップスと、ゴムで伸縮性のあるこれまたテロテロした布地のズボン。
試着室で着替える。さっきまで着ていた服(娘の昔のジャージ)の着心地の悪さと言ったらもう……ない。試着した服は『これこそまさに、ジャストフィットだ!』と叫びたくなった。
「由美子、やっぱりお年寄りにはお年寄り用の服だわ。いつもなんであんな『the高齢者』な服を着るんだろうと思ってたけどさ、高齢者の体にフィットするように作られているんだね。すごいね!」
「何に感心してんだか。うん、いいんじゃない? 似合ってるじゃん」
こんな状況を受け入れてくれるところも、高齢者になった私を馬鹿にしないところも、由美子の良いところだ。私は良き親友を持った。
「由美子……いつもありがとうね……」
いつになく弱々しく感謝の意を伝える。
「やだ! 何言ってんのよ。老い先短い年寄りみたいなセリフやめてよ」
由美子が私にカツを入れた。体が歳を取ると心まで気弱になるらしい。
次は介護グッズ売り場へ向かう。店員さんがすかさず椅子を準備してくれる。
「何かお探しですか?」
「えっと……。杖か手押し車を見せてもらいたいのですが……」
いくつか商品の説明をしてもらったが手押し車は一万円程、杖は三千円程だった。また余分な出費だ……。杖をつくだけで大分、足の痛みが軽減されたので杖を購入することにした。
「またいらないものが増えるわ……。変身するたびに普段使わないものばっかり買ってる」
「杖はいずれいるかもじゃん?!」
「まぁ……ゆくゆくはね」
二人で顔を見合わせて苦笑した。
***
買い物を済ませた後、少し休憩してたっくんの小学校まで由美子が車で送ってくれた。帰りも迎えに来られるように仕事を調整すると言ってくれたがタクシーを呼ぶから大丈夫だと断った。
時刻は10:45。集合場所の『多目的ホール』へ向かう。地域の高齢者や生徒の祖父母と思われる方々が早々に集まっている。しばらくすると子どもたちが入室してきた。舞台前に整列する子どもたちと客席の高齢者双方が手を振り合っている。たっくんはちょうど真ん中にいた。キョロキョロと客席を見渡し私を見つけると、満面の笑みを浮かべ手を振った。
『たっくん嬉しそう……』
複雑な想いを抱えつつ合唱が始まる。
『夕やけこやけ』と『小ぎつね』が披露された。時々こちらを見ながら、一生懸命歌っている姿が見えた。
その後、祖父母や地域の高齢者たちが子どものグループに入り、一緒に工作をすることになっていた。実の祖父母は孫のところに行き、祖父母が来ていない子どもの所には地域の高齢者が行った。私はたっくんの隣に行き、一緒に牛乳パックでペン立てを作った。
「飾り付けはばぁばの好きな猫にする? じーじは釣りが好きだから魚もつけようか?」
嬉しそうなたっくんを微笑ましく眺めながら、ハサミで切ったりのりで貼ったりしていく。完成したペン立ては、子どもたちが事前に書いてあった手紙を添えて高齢者に直接手渡された。
「ばぁば……僕ね、地域のお年寄りに渡す手紙を書いていたんだけどね。ばぁば用に書き直したんだ! 恥ずかしいから今日僕が寝た後に一人で読んでね」
たっくんは渡す時に小さな声で私に耳打ちした。
時刻は12:25。
タクシーを呼ぼうか迷ったが、ひとまず杖をついて小学校を出た。ゆっくりと10分ほど歩き公園のベンチで休憩をとる。薄い長そでの服でちょうど外の風が気持ち良い季節だ。
昨年末に亡くなった母に思いを馳せる。自分が子どもの頃はとても厳しく、礼儀作法や女性としての嗜みを重んじる母だった。
私はというと、ずぼらで細かい作業よりも体を思いきり動かすことの方が好きで、母の望む子ども像ではなかったと思う。それでも私を否定するようなことは言わなかったし、いつも私の体を気遣い応援してくれていたと思う。でも苦手だった。
幼少期の厳しかった母の姿が鮮明で、大人になってからも仲が悪いわけではないが遠慮がちな態度をとっていた。そんな母が9カ月前急逝した。
母は何を思って逝ったのか。私のことをどんな風に思っていたのか。この答えの出ない問いにいつも思いを巡らせてしまう。
ただ自分が母親になってわかったことは、我が子への心配が尽きないこと。我が子が世間の荒波にのまれないよう強く生きてほしいこと。我が子の幸せを何よりも願っているということだ。
母もそんな風に思って私に厳しくしていたのではないか。
痛く重い体を立ち上がらせ自宅までゆっくりと歩を進める。晩年の母に、もっと優しくしてあげればよかったと後悔ばかりが押し寄せてきた。
***
自宅に何とか辿り着き水分補給をした後、身を横たえる。体力だけが取り柄の私も、この老体での買い物、参観、30分歩行は堪えたようだ。2時間が一瞬と感じる程にぐっすりと眠っていた。
夕飯の支度に取り掛かり、夕方の家事をしながら家族の帰りを待つ。たっくんは児童クラブが休みなのでまもなく集団下校で帰ってくる頃だ。
「ただいま! ばぁば、今日は来てくれてありがとう! あ、僕、宿題を済ませたらお手伝いするね!」
ランドセルを部屋に置きに行くと、宿題を早々に終わらせ急いで降りてきた。
やはり『本当の私』がいないことにも、『祖母』が家にいる不自然さにも触れずにこやかに振る舞う。私は今日のたっくんの様子と、今日一日は祖母になりきって過ごすことを夫と姉兄のLIMEに送信しておいた。みんなにも『祖母』のように振る舞ってもらえるよう協力を求めた。
夕飯が終わるとたっくんと一緒に入浴し好きな本を一緒に読んだ。
就寝時間になった。いつもは一人で寝るたっくんが『眠るまで一緒に居てほしい』と言うので、ベッドサイドに座りたっくんと手をつなぐ。
「ばぁば、今日はとっても楽しかったよ。会いに来てくれてありがとう。ばぁばにいっぱい話したいことがまだまだたくさんあるよ! あのね僕ね、九九ができるようになったよ。あとね、縄跳びも二重跳びができるようになったんだ。あとね、新しいクラスになってね友だちもたくさんできたよ。あとねあとね……話したい事いっぱいあるのにな……」
「うんうん知ってるよ。たっくんがいつもいっぱい頑張ってること。たっくんはすごいねぇ。頑張り屋さんだもんねぇ」
「うん。ばぁば大好きだよ……。本当に大好き……。ありがと……」
そう言いながら眠りについたたっくんの頬には涙が伝っていた。涙を拭い、頭を撫でてやりながら自分が本当の祖母になったような不思議な感覚を覚えた。
寝室でひとり、たっくんの手紙を開ける。
『ばぁばへ。
いつもいっぱいあそんでくれてありがとう。
いっぱいうれしいこと言ってくれてありがとう。
ばぁばにまた会えてうれしかった。
ばぁばが大すきだよ!
ずっとずっと大すきだよ!
これからもお空で見ててね——』
あぁ……。
何とも言えない気持ちになりそっと手紙を閉じた。
手紙は手作りのペン立てと一緒にクローゼットの奥の見えないところに隠した。亡き母に届けるまで誰の目にも触れさせてはいけない気がした。
翌朝。
いつものように自分の姿に戻りいつもの朝がきた。夫と姉兄の二人を見送り、たっくんを起こしに二階へ上がる。今朝はどんな反応をするのか、私はどう応対すればいいのかわからず、部屋の前で逡巡しているとたっくんが戸を開けて出てきた。私の顔を見て一瞬驚いたような顔を見せたが元気な声で挨拶をしてきた。
「お母さん! おはよう!」
「あ……たっくんおはよう。今日は自分で起きられたんだね。すごいね」
「うん。僕もう2年生だからね! 早起きも勉強もお手伝いも頑張るよ!」
「そう。えらいな! お母さんすごく助かっちゃうな! じゃぁ朝ごはん一緒に食べようか」
私は祖母の代わりにはなってあげられないけれど、母親として寄り添い、見守ることはできる。
私にもたっくんにも『母』に対して消化されない思いや気持ちは残るけれど、母が故人となった今、すっきりと消化できる術はない。
遺された者は時に故人を強く想う。それがたとえ辛くとも、遺された者同士、互いに励まし強く生きていくしかない。その想いが「供養」にもなるのだ。
母とはもう話はできないし考えは聞けないけれど
『母も私も「母として子を想う気持ち」はきっと同じ。
それだけは間違いない』
そう強く感じた朝だった。
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