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1800年飛び越えて、推し。

私はとても飽き性である。
学生のころ、ビジュアル系バンドにドはまりしていて「解散したら死ぬかもしれない」なんて宣っていたけれども、3年もしないで飽きた。
社会人になって、アメリカンプロレス(WWE)に夢中になり、来日公演に足しげく通っていたけれども5年で終わった。
30過ぎてOneRepublicというアメリカのバンドに心酔(これはまだ継続中)、英語を勉強し始めたけれども2年持たなかった。

そんな私が、唯一、20年以上ハマり続けているものがある。

『三国志』である。

きっかけは、三国志戦記というゲームだ。
魏呉蜀の君主になって、軍略をめぐらし敵を駆逐するシミュレーションだった。とにかくもうキャラクターがカッコよすぎる。イケメンすぎる。
当時10代の小娘だった私には、目が眩むほどの美しさであった。

その中でも、呉・孫策伯符を君主とするシナリオは、何度繰り返したかわからない。17歳の初陣で父を失い、19歳で旗揚げ、あっというまに江東を平定、その凄まじさから「小覇王」の異名をとった漢である。
『三国志演義』のもとになった歴史書の『三国志』でも「秀でた容姿を備え」と書かれているだけあって、まあとにかくカッコいい。
おまけに義兄弟で「金属をも断ち切る仲」の周瑜(『レッドクリフ』ではトニー・レオンが演じた)も「美周郎」の異名を持つのだから、腐女子殺しというもの。

このゲームのおかげで、いまなお私の脳内三国志は美男ばかりである。
180人以上いる武将すべての名前と顔が判る。
『三国志』を挫折する理由のひとつである「誰が誰だかわからない問題」が私には無縁であった。

歴史上の人物に「推し」がいると、人生が華やぐ気がする。

三国志を題材にしたドラマや小説、漫画やゲームをみるにつけ、ときめく。
「おお、この作品では彼をこういうふうに解釈しているのかー」
「ええっ、彼にこんな弱気なセリフ言わせないでよ! 嫌だあ!」
「わっ、この場面いままでよく理解できなかったんだけど、時代背景を考えたらそういうことなんだ! くうう、また一段と惚れ直したぜ!」

どの作品からも、必ず新しい三国志が見つかるのだ。
そのたびに、1800年前を生きた人々に血が通う。1800年という時間の壁を飛び越える。ついでに私も、初めて三国志に触れた10代の少女に戻る。そして仰ぎ見る。
闊達で、他人の話を良く聞き入れ、一所懸命に生きる、自分とほとんど年の変わらない少年であった孫策伯符の姿を。

大河ドラマで有名武将を主人公にすると、それなりに視聴率がとれるというのもわかる気がする。ドラマが観たいというよりも、いかにその武将を描くかに興味があるのだ。

『三国志』は、暗唱できるくらい何度も読んだ。
それでもなお、足りない部分がある。私が想像できる姿には限界がある。
だから、他のだれかの解釈を知りたい。見たい。
そう思うとき、1800年という時間が味方になってくれる。
その間に、たくさんの人が歴史書を紐解いて、それぞれの解釈をし、物語を紡いできた。脈々と。
いわば1800年分、ヲタク仲間がいるようなものだ。

そう、『三国志』はひとつではないのだ。
1800年分、たっぷりあるのである。
長くて、深くて、大きいのだ。長江のように。

まだ見ぬ『三国志』が、私を待っているのだと思うと武者震いがする。
この瞬間にだって、きっと新しい『三国志』が生まれているはずだ。
さて、今日はどんな『三国志』が見つかるかな?
ああ、忙しい。全くもって、飽きているひまがない。




最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。