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【前編】マーブルケーキ

 この場所に足を踏み入れた瞬間、鮮やかな緑色が記憶の底からこんこんと湧きだしていって、流れるペンキのように頭の中を一気に染めていった。歩きながら、記憶を蘇らせる。前に来たのは何歳の時だっけ? 10年以上前なんだろうな。おばあちゃんの手を握りしめてゲートをくぐって、その先にぱーっと広がる芝生の絨毯に、悲鳴にも似たような歓声を挙げた気がする。でも、そこで馬を見たとか、レースがどうだったかとかは、さっぱり記憶に残っていない。

 私は今、競馬場に来ている。生まれて初めて、たった一人で競馬場にやって来たのだ。

 目の前にはコースが広がっていた。湧きだし続ける記憶と、実際に見ている光景とのギャップに面食らってしまった。意外と小さい。そして、芝生もそんなに広がってはいない。芝生の先には白い砂のコースがある。こんなのあったっけ? というか、ここでも馬が走るのかな? もっと大海原のように、芝生があると思ったんだけどなあ……。

 額がだんだん、不愉快なくらい湿っぽくなっている。見上げてみると、空はどこまでも水色で、ほんの一部分だけ強烈に光っている。照りつける光線が体を痛めつける。外の空気が、私自身を痛めつけることが許せない。だから、夏も冬も嫌い。

 その苦しみから逃れる方法を、私は知っている。息を大きく吸い込み、空気をお腹の中に溜める。お腹の中に溜まった空気を細く、真っ直ぐにして口から吐き出す。ゆっくりと、ゆっくりと時間をかけながら。

 みるみるうちに、体が軽くなっていく。そして、日差しの痛みだとか、暑さだとか、体から噴出する汗だとか、そういうものを一切感じなくなってくる。

 空気を吐き終えると、ずいぶん心地よい感じになってきた。体から心地よい空気が循環している。クーラーや扇風機がなくても、とっても涼しい。

 視界から徐々に私自身が見えなくなって、遂にどこかへ消えてしまった。

 今日も無事に、私は透明人間になれたみたい。

 透明人間業界、いや、そういう業界があるのかよくわからない。でも、私の透明っぷりは一般的な透明人間像と異なる部分がある。

 今、透明状態の私は無料給水所の前にいる。これを用いて解説しよう。ちょうど一杯飲みたいところだし。

 まず、透明人間はボタンを押すことが出きる。そういう感覚を失った幽霊系統の方もいるかもしれないが、私の場合はその点はっきりしている。目の前のボタンを押すと紙コップがころりと落ちて来た。数秒経つと冷たい水が流れてくる。

 紙コップに水が満タンになり、私はそれを掴む。その瞬間、紙コップも私と同化して透明になる。口に流し込む。水は体の中をすーっと流れていく。おいしい。水が床にこぼれるということはない。

 飲み終えたコップはきちんとゴミ箱へ。ポイと手放すと、紙コップはその姿を取り戻し、ほの暗い底へと消えていった。

 この状態を第三者の視点で見ると、誰も居ないのに給水機が稼働した挙げ句、紙コップがふっと消えてしまう……という感じだろうか。ひょっとすると、いわゆるポルターガイストは私のような存在が巻き起こしている悪戯なのかもしれない。

 創作物の中には全身の包帯をほどいたらそこには透明人間が……なんて話があるみたいだが、私の場合だと身につけているもの全てが透明になる仕組みである。透明状態になると、着ていた服も透明になる。

 また、一度透明になると一生戻れない話もあるらしいが、私の場合は至って簡単で、再びあの呼吸法をすれば元に戻るのだ。

 さて、そろそろ競馬場の探検でもするか。何だか、昔に来た時よりも綺麗になったのかな? 流石に中学生や高校生らしき人はいないけど、意外と女の子も多くて安心した。カメラを首から下げている人が多い。どこかで写真を撮るのかな? 

 競馬場の探検をするならば、透明状態では不都合も多いだろう。私は再び、すーっと大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出していった。

 視界から徐々に、色彩を帯びていった自分自身が見えてきた。

 以上が透明人間の原理である。

 私の名前は風岡明里(かざおか・あかり)。生まれも育ちも福島県。こういう特殊能力がある点を除けば、普通、ないしは普通以下の高校3年生。

 なにをやっても目立つ女の子じゃなかった。勉強も運動もルックスも「中の下」を行ったり来たり。家族の中でも、3兄弟の真ん中というポジション。優秀な兄と甘え上手な妹に、パパとママのエネルギーは吸収されていった。

「えっ、あんたそこに居たの!?」「明里は地味だよね」「風岡は目立たないなからなあ」……そんなフレーズを耳にすると嫌だけど、自然とそれを受け入れてしまう自分がいた。「地味」っていうのは、この世に存在しているからこそ貼られるレッテルなのだ。

 そんな私の存在を唯一認めてくれたのが、おばあちゃんだったのだ。いつも一対一で遊んでくれた。お手玉やあやとりといった昔の遊びを教えてくれた。

 そして、この呼吸法もまた、おばあちゃんから教わった。小学校低学年のときである。テストや運動会や演芸会の前だと、いつも緊張して一人で震えていた。そんな私に、おまじないとしておばあちゃんから授かったのだ。

 一番かけがえのない人を失ったのは、4年前の夏だった。物心がついてようやく、実は病と長いつき合いをしていたことも知った。頼りがいのある姿の中には、気がつかない苦しみとの戦いがあった。

 そして、私を認めてくれる人がいなくなった。不安と緊張でイライラ続き。家族と喧嘩する回数も急に増えた。自分自身をコントロールできなかった。

 あの呼吸法が抱く意味が大きく変化したのは、ちょうど高校受験の勉強が佳境を迎えた夏だった。進路で両親と対立していた私は、いつも通り部屋に籠もって泣いていた。

 もう私なんて誰からも認められないんだ。

 認められないんだったら、私なんていなくなってしまえばいいんだ。

 一体いつまで泣いていたんだろう。ようやく目を覚ました。黒々と塗りつぶされた部屋に、満月の光は一直線で差し込む。そんな空間の中だから、余計にドキドキしている。呼吸もまだちょっと荒い。

 その時ふと、おばあちゃんのおまじないを思い出した。小学生の頃はよくやっていたけど、最近はやってないな。色々と思い出しながら、大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。それをしただけだと、その時は思っていたのに……。

 いい感じの深呼吸だった。すごく体が軽い。もやもやが晴れているのがよくわかった。

 ようやく我に返った。何故か顔を洗いたい気分だった。暗い廊下を歩く。みんな私に呆れて、すでに眠っているみたいだった。

 洗面台に辿り着き、電気を灯す。この調子だと、私の目は相当真っ赤なんだろうな。見たくないなあ。

 見たくない顔が見えなかった。いや、鏡に映ってないから、その時はどんな顔だったかもわからない。自分の悲鳴で自分の耳が痛くなった。でも、誰もやって来なかった。透明人間の声は透明なのだ。

 そして、混乱して真っ黒になった私の頭の中で、誰かが囁いてきた。元通りになる方法を教えてくれた声は、不思議と懐かしい感じがした。私は再び、大きく息を吸い込んだ。

 さて、こんな便利な機能を手に入れたことなのだから、さぞかし優雅な透明人間ライフをお過ごしでしょう……と思われそうだが、現実はそんなに活用していない。異性の浴場とか更衣室とかに入ろうという発想も無い。多分、それは男子特有の発想。

 私がこれを使う時は、一人になりたいときだ。

 なにもしたくない時、なにもできない時、自分自身から逃げたい時……。

 そんな感情が襲うと、私はいつもイライラしている。そして、胸がずっと苦しくなる。その苦しみを和らげるために、いつも大きく息を吸う。

 他人から見えなくなると、目線を気にする必要が無くなる。パパとママ、兄妹、学校そして社会からの束縛は消える。そして、透明な私は好きな場所で好きなことをしている。

 姿が見えるときは何もできないのに、透明になった瞬間、私は不思議なくらい前向きで積極的に行動している。地味な私を認めてくれるのは、透明になった私だけ。だから、今の状況は案外嫌いじゃない。

 今日は本来であれば、塾の模擬試験の日だった。でも、今は競馬場に居る。みんなと横並びで試験を受けることに意味を見いだせなかった。どう頑張ったって、私は人より幸せな生活が出来る気がしない。大学受験に耐えうる精神力も無いし、仕事に精を出せるほどの体力も無い。玉の輿を狙える魅力も無かった。

 透明人間になってはや3年。競馬場は一度でいいからこっそり行ってみたかった。今日が夏の最終開催日だと、駅前のポスターに記してあった。なんとか間に合った。

 どこに居ても苦しかった。でも、少しでも良い思い出がある場所に行けば、なにか楽しいことと巡り合えるんじゃないかと思った。頭の片隅に、あの日の競馬場の記憶が残っていた。

 おばあちゃんはギャンブルが好きだったし、結構得意だった。突然お菓子やおもちゃをプレゼントしてくれる時は、大体当たった時である。部屋に転がり込むと少し赤くなった新聞を机に広げて、正座したままラジオを聴いていた。

 かといって、ギャンブラーにありがちな癇癪を見たことは無かった。いつも落ち着いていて、レースを黙って聞いていた。で、当たったときは思わずニヤリ。ああいう呼吸法を伝授してくれる人だからこそ、なせる技なのかもしれない。

 さて、かれこれ2時間以上競馬場にいるけれど、案外飽きないものである。レースもよくわからないけれど、自分の目の前を馬が走るのは迫力がある。女性ファン専用スポットなるものもあり、私はハンドマッサージのサービスをしてもらった。売店で買った焼きそばは安っぽいけれど、なぜだろう、ソースの香りが私の幸福感を増幅させてくれる。

 こんな場所で汗をかきながら、のんびり1日を過ごす。競馬場は本当の自由を手に入れた人たちだけが、足を運べるスポットなのかもしれない。

 ただ、何かが欠けていることにも気がついた。でも、私は未成年だから、それに手を出してはいけない。その一線はわかっていた。あの娘に出逢うまでは。

後編に続く>

どうもです。このサポートの力を僕の馬券術でウン倍にしてやるぜ(してやるとは言っていない)