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科学・芸術へのパトロン

今の時代に科学研究をおこなおうとすると大学や国の研究所で働くか、あるいは分野によっては企業の研究所で働くか、そのような選択肢が多いと思います。

しかし以前は、たとえばヨーロッパでは国王、貴族や大商人がパトロンとなって科学者を援助していました。芸術家も今のように大衆から幅広くお金を集めるというよりは、パトロンからの援助によって暮らしていたことが多かったのではないかと思います。

そのような様子を書いた本に、つぎのような面白そうな本があるようです(『ガリレオの求職活動 ニュートンの家計簿 科学者たちの生活と仕事』)。

(海外に住んでいますので、すぐに実際に手に取ることができず残念です……。)

さて、しかしそのような国王、貴族というような階級が無くなって、国民国家ができあがると、今度はそれまでパトロンが果たしていた役割を国が担うことになります。

国に支援されることで支援の規模が大きくなって科学者が職業的になっていったようです。

このときに現代にまでつながるジレンマが生まれたのではないかと思います。つまり国王や貴族、大商人が科学者のパトロンになっていたころは科学者は自分を評価してくれる人のもとを遍歴できましたが、国がいわばパトロンになると国はもちろんひとつの国にひとつしかないので、働く場所の選択が限られてくることになります。

そしてもしある科学者の研究を国が評価しないとき、あるいは国の政策とことなっているとき、その科学者はその国で研究できないことになってしまいます。

これを避けるために、国は学問の自由をできるかぎり保証して幅広い科学者を支援したほうがいいですし、国の政策と合わなくても支援したほうがいいでしょう。かつていろいろなパトロンが持っていた権利を国がひとりだけ持つようになったと考えると、そうしなければならないはずです。

このようなことは芸術にも当てはまると思います。ただ芸術は一般の人々に買ってもらったり、展示・演奏会などを開いて入場料を取ったりでき、一般の人々にも支えてもらいやすいところがありますから、科学の場合とは少し違うところはあると思います。

いずれにせよこのようなわけで国は自分がひとりのパトロンなのではなく、かつてはたくさんのパトロンが果たしていた役割を独占していると考えて、できるだけ幅広く科学、芸術への支援をするべきだと思います。

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