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普段は行かない美術館へ行った話

先日、友人に誘われて山下清展に行ってきました。

恥ずかしながら「裸の大将」のイメージしかなく、
自由奔放な画家くらいにしか思っていませんでした。

実際に見に行って、画家の幼少時代から晩年の大作まで、
流れを追って見られた事が、自分にとって良い体験でした。

そこで感じた3つのことを書いてみます。


1. 忖度のない人生

山下清、というと自由気ままに放浪しながら
絵を描いていた、というイメージでしたが、
徴兵検査を逃れるためだったそうです。

作品の合間に添えられた彼の語った言葉からも
その時代の当たり前よりも、自分の感情を優先して
過ごしていたエピソードがありました。

存命中に映画化されたり、有名になってからも
変わらずの旅を続けて、
作品と人生に忖度なく生きた方だったのかな、と感じました。


2. 本人の資質は初めから出ていた

最初の作品は8歳ごろの鉛筆で書かれた昆虫などでしたが、
迷いのない真っ直ぐな線で書かれていたのが印象的でした。

有名な貼り絵も、一匹の昆虫から始まり、
はじめは失礼ながらまだ子供の作品なのかな、
と感じてしまいました。

しかし、徐々に、生活、街並み、自然の風景と、
彼の見えてる構図や色の表現が狂気的に尖っていく
ように感じました。

当然、時間と共に技術や表現力も上がっているのですが、
もともと持っていた表現したい本人の資質は、
はじめの作品から出てたように受け止めました。


3. 得意な描き方は変わる

有名な作品は、貼り絵やペン画によるものですが、
鉛筆画、水彩画、油絵、陶磁器への絵付けなど、
時代によって描く手法は変わっていきました。

若い時代には貼り絵の作品が多かったですが、
徐々にペン画の作品にシフトして行ったり、
油絵の作品は少なく、絵皿とは相性が良かった、
というような話もありました。

自分はこの手法、と決めつけず
その時の自分に合った表現で自由に描いて
良いんだな
、と感じました。


他には、人物画がほとんどなく、
他人に関心が少なかったのかな、とか、
写真でも素の表情で笑顔を作らない人だった、とか
どんな人物だったのか、知る機会になりました。


美術館の正しい楽しみ方かはわからないけど

以前に記事にも書いたのですが、
もともと美術館が苦手でした。

今回の楽しみ方が正しかったのかはわかりませんが
今の自分が感じたままの、山下清展の感想を書きました。

偉人だから全てすごかった、ではなくて
はじめの作品から変わったところ、変わらないところ、
成長や得意不得意があったり、
性格や物の見方が作品に現れていたり、
どんな人だったのかが知ることができたのが
私にとっては一番興味深い点でした。

お誘いしてくれた友人へ、どうもありがとう。

同い年の友人(左)と私(右)

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