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回想:児童養護施設

臨床心理士の仕事は常勤職がまだまだ少ない。心理士の資格を取ってからこの10年間ほどで複数の非常勤を掛け持ちしつつ、常勤として働いたのは2箇所程度だった。そして常勤として働きつつも複数の掛け持ちは継続していた(どちらも契約社員としての常勤だったので問題なかった)。

振り返ってみれば、これまで1年以上働いたものだけでも20箇所弱になる。半ば意図的に、経験を積むためになるべくたくさんの仕事をするようにしてきた結果だが、せっかくなので、備忘録もかねてそれらの仕事について書いておきたい。もちろん、具体的に書けない部分も多いので、あくまで所感の部分が中心になる。

児童養護施設での心理支援

多くの児童養護施設では入所児童に対する心理支援を行うが、これを臨床心理士が担当する。私にとっては、大学院で臨床に触れたはじめの一歩が児童養護施設でのプレイセラピーだった。以下、個人的な体験をもとに振り返ってみる(状況は施設によって大きく異なるので、あくまで一所感である)。

心理士が一定の枠組みの中で小、中学生を支援する場合はプレイセラピーを実施することが多いが、これが非常に難しい。「遊ぶ」ことはできても、資格取得前後の時点でプレイセラピーの意味を実感し、またそれらの体験や効果を言語化するのは非常にハードルが高い。そのハイレベルなセラピーの上に、児童養護施設入所児童というかなり複雑な環境で育った子どもの精神面を扱うことは輪をかけて困難だ。

本来であればある程度経験を重ねたセラピストが担当すべきなのだろうが、施設のマンパワーの問題、報酬の問題等もあり、初年度前後の心理士が担当することが多いように思う。したがって、ハイレベルな仕事であるにもかかわらず登竜門的な位置づけになっていることもある。

子どもの柔軟性

振り返ってみて思うのは、どれだけ複雑な環境で育った子どもでも、優れた柔軟性を持っていたことだ。

こちらが未熟で、例えばうまく子どもの言動を汲み取れなかったり、適切な形で意図を伝えられなかったりすることがあったとしても、子どもは大抵の場合そういうものとしてとりあえずは受け取ってくれるし、一度のすれ違いで関係が切れることはあまりない。たとえ一時的に断絶したとしても修復が可能であることも多い。

子どもはこちらがどのような立場であるかはほとんど意識せず、「遊び相手」として受け入れてくれるという体験に、何度ともなく助けられたように思う。ちょっとした約束をすっかり忘れてしまっていたこともあったし、不用意な質問をしてしまったこともある(特に家族関係についての質問はとてもデリケートに扱わねばならない)。それでも、ある程度は懐深く受け入れてくれる。もちろん施設という生活環境内で実施する以上、子どもはなかなか拒否しにくいという面もあるが。

そうした意味では、児童養護施設が初心の心理士の職場となることも、決して悪いことではないと感じる。

アドラー心理学の視点

週に1度、2週に1度といったスパンで1時間ほど一緒に遊ぶ中で、誠実であろうと努力し、また終わった後に様々な意味を考える。今振り返ると、もう少し目的論、個人の主体性といったアドラー心理学の基本前提に基づいて考えることができていれば、視野を広く持てたかもしれない。複雑な家庭環境というファクターにどうしても注意が向いてしまい、原因論的に考えすぎていたように感じる。

「何が正しいか」から離れて、その子どもにとって大切なものごとを言葉にしていく過程は、他者比較に基づいた権力闘争から一歩距離を置いて、一人ひとりが所属の中で生きようとする姿を見出す視点とも言える。子どもの柔軟性を考えると、アドラー心理学が教育を至上命題とし、子どもへのアプローチを第一に考えてきた背景にもうなずける。


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