見出し画像

人生を変えた後遺症⑤

落胆と自責

この一ヵ月、ありとあらゆる検査をしたものの
まったく原因が分からなかった。

母は”あの薬を飲むとあの症状が出る”と
何度も訴えていたに関わらず

「薬は関係ありません」の一点張りだったそう。

母の訴えは受け入れてもらえず
検査と、不安と変えてくれない薬。
(処方されるが飲んではいない)
そんな日々に私と母は疲れ切っていた。


一番大きかったのは
〖最後までこの先生にお願いしたい〗

という
関係性が築けなかったことかもしれない。


そして、なんでこんなことになってしまったのか。
なぜ、母にこんなに迷惑をかけてしまっているのか。
そんな思いもどんどん強くなっていった。

もっと早く病院に行っていれば。
この病院で受診してなければ。

この病院にいても
安心もできない。
母の負担も増える。
早くどうにかしたい。

そんな気持ちを察したかのように
転院を決めてくれた母。

ホントにありがとう。という気持ちで
いっぱいだった。


転院

転院の日がやってきた。
正直、この病院にはなんの未練もなかった。

ただ、この病院にも
わざわざ遠くから来院する患者さんもいて
病院が悪かったか。といえば一概にそうとは言えず

”私には合わなかった”
というだけなんだろう。

病院は本当に相性が大事だと思う。

転院先は、私が幼稚園のころに髄膜炎で
入院した大きな病院だ。

その時も命を救ってもらったと言っていいほど
お世話になった。

そして、13年越しにまた入院することになった。


信じがたい事実

新しく私の主治医になった先生に
母が今までの経緯を説明した。

母も素人ながらに薬が気になっていたみたいで
飲んでいた薬について聞いていた。

そして主治医の口から出た言葉に
私と母は驚いた。

「きっとこの先、生きていてもこの薬に出会うことは
ないでしょう。そんな薬ですね」

「え?」
「どういうこと?」

主治医は、前の病院の手前なのか多くは語らなかったが
そういうことらしい。

”そんな薬を処方されてたんだ”

という気持ちと、じゃあ飲んでなかったら
こんな状態にはならずに済んだのか。

なんとも言えない気持ちで
診察室を後にした。


転院後の生活

転院後の生活と言えば、なにも検査という検査はせず
検温と一週間に一度の採血。

あとは自由に過ごす。
経過観察のみ。

高校生が、こんなに自堕落な生活を送ってていいのか
というほど自由に過ごしていた。

そして、一ヵ月の経過観察後
退院許可が出た。

普段の状態も特に気になることもなく
安定していたのと
採血の結果も異常なし。

と、まあ転院先では、ご飯を食べて寝て
面会に来てくれた人と話したり、大部屋で仲良くなった人達と
夜中に怖い話をして、巡回に回ってきた看護師さんを驚かしたり…
痛みとは無縁な生活をしたまま終わりを告げた。

私の身体に刻まれたもの

それは、後遺症。
ただ、本当にひどい方に比べたら私は日常生活を送れないわけではないので
”そんなもの大した後遺症じゃないわ‼”って怒る人もいるかもしれない。
でも、私にとっては人生が変わったといっていいほどの後遺症。
実際、とある病院の先生も
「あ~、後遺症だね~」の一言で終わりでしたので。

これは、私にとっての後遺症の記録。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?