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泣かない人生を歩みたい【3】

昔から自分の容姿が死にたくなるくらい嫌いだった。


今はそうでもない、というか、自分がそこそこ頑張ってまぁこれでいいかと思うくらいに落ち着いたのとなによりここまでくると諦めがついてきたのが大きいのかもしれない。


小さい頃から私はずっと太っていた。
両親が離婚し、母に連れられて香川に帰った時、母は心を病んでしまい、家事はほとんど祖母がしていた。祖母はあまり料理が得意でなく私はいつも菓子パンやお菓子を与えられていた。幼かった私は、その食事に特になんの感情も抱かなかった。むしろ好きなものが食べられてラッキーとさえ思っていた。ただ、毎朝、菓子パンとともに祖母が作ってくれた冷えたおかずを食べながら、温かいものが食べたい、とだけ強く思っていた。


母は私に食事量を与えることで自分は子育てを怠っていない、とお、思うたかったのだろう。機嫌が悪く私に当たった日の翌日は、ご飯を作らなかったが、数日すると夜ファミレスにパフェを食べに連れて行ってくれた。


こんな食生活をしていたら太るのも当たり前だな、と思う。そして小学校で、太っていることを散々言われた。でも幼かった私にはどうしようもなかった。食べるのを我慢したら良かったのかも知れなかったが、そうすると母に叱られてしまう。うちは出されたご飯を残すことは許されなかった。
その頃、友人と家族ぐるみでよくご飯に行った。大体食べ放題に行くのだが、そこでたくさん食べると周りが褒めてくれることに気がついた。よく食べると周りが褒めてくれる、幼い私は、そうやって人の顔色を伺うために食べた。


小学生も高学年になってくると、周りに太っていることを言われるのも、さすがに心にくるものがある。そうやって人にさまざまな悪口を言われるのを気にしてない、と笑い飛ばさないと学校ではそれはもっと過激ないじめに発展する。気にしてないふりをしながら気にしすぎて心にたくさんそのかすを溜め込んでしまったのだと思った。その処理に今も追われている。

そうやってそこから逃げるように勉強をし、中学受験をした。中学にはいり、ダイエットしよう、と思った。小学生の高学年からあさごはんの菓子パンが嫌になったが、そんなの言ったところで誰も作ってくれないから、自分でご飯を作っていた。中学に入ってからは、塾通いが始まり夜ご飯はコンビニで買って食べていた。週に4、5回の夜ご飯を1週間分、と渡された1000円でやりくりする。1食大体200円。ダイエットとかそういう問題じゃなく、そもそもおなかを満たすことが精一杯であった。菓子パンと、飲み物を買い空腹をごまかしていた。


そこから高校で陸上をはじめ、食事管理が始まり、体重は10㎏近く、体脂肪率は測っていないが、3段腹が腹筋われるくらいに痩せたのだから10%くらい落ちた気がする。

痩せると、人の対応が変わる。高校時代は長年を共にした人ばかりだったのでそこまで体感しなかったが、大学に入ってその違いを半ばあきれるほど感じた。男子はまずちゃんと私を名前で呼んでくれる。体形のことで嫌なことを言われない、女子から何もしていないのに見下されたり笑われることもない、きちんと「女子」として話したり接したりしてくれる。

ちやほやされたいという気持ちはみじんもなく、ただ単純に私を私としてみてほしかった。どんなに自分の内面を磨いても結局、外見がスタートラインに立たなければ、まず、人としても見てくれない。スタートラインに立てない人間はその辺のごみと一緒なのか、と感じた。

しかし、周りの対応は変わったとしても、自分の気持ちは何一つ変わらない。周りからどう見られているだろう、豚とかハムとか思われていないかな、私なんかがこんな服着ていいのか、今まで言われた言葉がフラッシュバックして、私にふりかか、動けなくする。

結局、いくら容姿が変わろうが、痩せようが、他者の評価や態度が変わろうが、私が認めてあげられない限り、私は一生太っていたあの頃の自分から変わることはできない。

だから、私はまず、自分の食時に対する向き合い方を変えようと思った。自分のために料理をして自分のために食べる。食事は誰かの機嫌を取るためとか怒られないためにしているのではなく、自分が明日も笑顔で生きるためにしているのだ。そして、誰かとご飯を食べる喜びを知った。昔は家族の集まる時間が夕食しかなくその時間が何より苦痛だった。でも今、彼氏とご飯を食べるときに同じような苦痛は感じない。誰かとご飯を食べるのっていいな、と心から思えるようになった。

そうやってこの2年間、食と向き合いつづけて最近やっと、自分の容姿に対して、何かを思う時間が減ってきた。結局私に足りなかったのは、努力じゃなくて、愛情だったのだと思った。

好きだった人に「お前は容姿以外は完璧なんだけどな」といわれたこと、友達だと思い恋愛相談をしていた人が私が好きだった人と付き合い、その容姿でよく恋愛とかできるわ、と言っていたのを聞いたとき、母が弁当を作るのを嫌がり私に毎朝やつあたりをしてときいた、へらへら笑いながら聞いていたり気にしていないふりをしていた、あの頃の私に言ってあげたい。あなたはずっと頑張ってきているし、これから絶対に幸せになれるよ、と。

まだ自分の中のくずはたくさんあって、それをひとつずつ掃除していかないといけない。でも、今の私にはそれができる。たぶん明日は、容姿だけでなく、中身ももっと素敵な人になっているだろう。

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