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2024.8.15:ちひろさん

22時、全く進まない自転車で銭湯へ向かう。

昼の余韻を残した生ぬるい風が、川の水面を揺らした。光が弾けて、蛙が鳴いた。全てがあまりにも美しすぎて完璧だった。これからわたしは私を殺す。


最も大切にしている本は、と問われると、安田弘之の「ちひろ」という本を挙げる。

通っている喫茶店で片っ端から漫画を読んでいた時代に出会った。
安藤モヨコ、魚喃キリコ、岡崎京子、サブカル女子の一度は通るラインナップの中にその本はあった。子供が背伸びしても手に余る数多なる本の山の中で、幼心なりにブッ刺さったのがちひろさんだった。


彼女は、そこにいるのにいないところがいい。
当時、思春期真っ只中で青臭く正面から傷つくことしか出来なかった私には、その不在が大人の余裕に見えて羨ましかった。
人は、存在しないものは手に入れることも、傷つけることもできない。無は絶対的な強さだ。彼女の足元には愛、恋、情、執着という夥しい数の死体がある。それを養分に美しく咲き誇る彼女は最高にクールだった。


それから、ダメになったらこの本を読むことにしている。誰よりも信頼できる人、こうなりたい。


この数ヶ月、ずっとぼんやり死にたい日々が続いていたので、久しぶりに読み返した。相変わらずちひろさんは世界一いい女だ。


自分で選んだ道なのに、選択に後悔は一ミリもないのに毎日苦しいのはなぜだろう。
中途半端に他人軸がまだ残っているから、人の評価に振り回される。

私の歩んだ道の全て、その過程で得た正解をわかる他人なんていない。培った価値や感性、そこから生まれる幸福を、苦しみながら得たものは、私のことを対して知らない誰かに貶されてゴミと化すほどのものではない絶対的なものだ。
わかっていても、悪意に当てられる。振り回されて疲弊して、何もできなくなる。

今日、またちひろさんを読んだ。

ちひろさんなら、どうするだろうか。

多分、今まで得た全てを灰にするだろう。
死にたいのなら、殺して仕舞えばいい、そしてもう一回自分の意思で生まれればいい。


勝手に産み落とされたんだもん。人生一度しか生まれることができないなんて誰が決めたの?


高松に帰るたびに行く銭湯がある。
小学生の頃から通い続けた銭湯の湯船に、静かに体沈める。目を瞑り、3つ数えて、自分を殺した。

伸びをして大きく息を吸ったとき、ちいさななにかが生まれた。

ありがとう私、おめでとうわたし。


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