見出し画像

2024.2.2:「セカンド自分」戦法

1月の自分テーマは忍耐だった。その結果、精神をぶっ壊した。

バイト、研究、その他手を付けていた諸々が繁忙期かつ大詰めを迎えた。手を抜くのが下手なので、ご丁寧にすべてに全力投球したおかげで壊れた。躁、不眠、仮眠、鬱、禍々しい漢字の問題を網羅してベッドから起き上がれなくなった。目を開けると「ですよね~」とセカンド自分が苦笑していた。

何度も鬱を繰り返してきた私が身に着けた蘇生術の一つに「セカンド自分」戦法がある。

幼少期、親に暴言を吐かれているときに、苦しんでいる自分とは別にそれを無感情に眺めている自分がいることに気がついた。歳を重ねるごとにその存在は強くなり、高校生には、二人の自分を分離できるようになった。ロールプレイングゲームをしている感覚である。ゲームのキャラクターがいくらHPがなくなろうが現実の自分にダメージはない。さすがに完全に分離することはできなかったが、負の感情に対して、当事者意識を持たない自分に人格を移すことで、全ダメージを食らわずに済んでいた。

その頃、榎本俊二の「ムーたち」という漫画に出会った。
衝撃だった。主人公の男の子は私と同じことをしていた。漫画の中でもう一人の自分としていたものは「セカンド自分」と呼ばれていた。なので私もそう呼ぶことにした。(後に大学の授業でそれをメタ認知と呼ぶことを知る)。

鬱の時は精神的に近眼になる。
「最近天気が悪い」「やらなければならないことが多すぎる」などと目前のネガティブ要素しか見えていない。しかし、この状況がいつまでも続くわけではない。冬はいずれ終わるし、タスクはいつか終わる。終わらなくても終わらせられる。しかし鬱の時は、現在の生活に存在する苦悩が一生続き、逃げられないという思考になり、無気力で自暴自棄になる。
こういう時に「セカンド自分」が大活躍する。彼は一歩引いたところで正論を言っている。彼の言うことは、現実味のあることなので間違っていない。「ファースト自分」は時として耳を貸そうとしないときもある(というかできない)が、そういう場合、ファーストを一度封印してセカンドをメイン人格とするようにしている。二人をうまく使い分けられうるようになったおかげで、病んでいると思うときも生活を続けられている。私の精神が強くなったというより、元の私が残りつつ新たな私が生まれただけだが。

未だに鬱になること阻止することは100%コントロールできない。代わりにダメージを軽減しつつ、嵐が過ぎるのを待つことが出来るようになった。こうやって人は生きてく術を身に着ける。ただ、いつか鬱とおさらばできる、ワンダーランドみたいな生活を求めている。


ちなみにムーたちでは「サード自分」まで生成していた。私はいまだにセカンド自分しか生成できない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?