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白ジャー 担当:かわかみなおこ

恩田陸著「夜のピクニック」をご存知だろうか。
夜通し80キロほどの距離を高校生たちが歩くというイベント「歩行祭」を舞台にした物語だ。

さて、どうしていきなり小説の話を出したかというと、何を隠そう、わたしはこの物語の舞台である歩行祭の経験者だからだ。

毎年10月に全校生徒で約70キロほどを歩く、その行事の本当の名は「歩く会」。
行事の内容については、まさに夜のピクニックをお読みいただければ書いてあるといったところなのだが、わたしたちの高校のジャージはこの行事のために真っ白だった。

長袖長ズボンで上下ともに真っ白。柄も飾りもなく、胸のところに名前の刺繍があるだけ。
これは、夜道で目立つようにということで採用されたとのことだが、多感な高校生にとってはシンプルにダサかった。
汚れも目立つし、生理の時なんて真っ白の服は着たくなかった。
(ちなみに夜のピクニックのようなハーフパンツはない)
このジャージのことを、わたしたちは少し嫌味もこめて、「白ジャー」と呼んでいた。

そんなわけで、歩く会の時は服装ルールもあって、全生徒が真っ白ないでたちになる。

想像してみてほしい。
1000人ほどの真っ白な集団が、田舎の田んぼ道に行列をなして歩く様を。
当時は記憶に新しかった、白装束の某宗教集団みたいだね、なんて話したりした。

歩く会は、1日目はクラスごとに列を成して歩き、2日目は各自の自由歩行になり、最終的にはゴール順位もつく。
コースは3ルートあり、3年間毎年異なるコースを歩くことになる。

1日目は45キロ前後を1~2時間おきにこまめに休憩しなら歩くが、飲み物・食べ物は自分のリュックに入れて歩くので、毎年持ち物が最適化されていく。
夜はどこかの学校などを借りて、カップ麺などを食べてから仮眠を取る。
もちろん布団もないので床でレスキューシートにくるまり雑魚寝。お風呂もない。
2日目は早朝から荷物をトラックに預けて手ぶらでゴールを目指す。
運動部は早い人だとものの数時間もかからずゴールするし、応援団はゲタと学ランを着て走っていく。
わたしのような運動弱者は、昼前くらいまでのろのろと歩く。
手荷物はないが、飲み物などが用意された休憩地点があるので、そこで計画的に休める。
ただし2日目はゴールの制限時間はあるので、あまりに遅いと「追い上げ隊」という委員が制限時間のペースで追いかけてくる。
追いつかれるとバスに回収され、完歩ができない。

運動神経も体力もないわたしはどうなったかと言えば、
1年目は見事2日目に膝を壊し半泣きで完歩。
2年目は直前まで高熱を出し、熱が下がった直後にそのまま参加。完歩。
3年目は2日目が通り雨が何度も降り、びしゃびしゃになりながら、完歩。

と、いうわけで実は無事全て歩ききっている。
こんな辛いことが分かりきっている行事なのに、歩き始めてしまえばなんとかしてしまった。

休憩所で保護者が用意してくれた梨が、体に染み渡る思いがした

夜になると懐中電灯を照らさないと見えないような、真っ暗な田んぼ道で、話すことも無くなって、笑いながらしりとりをした

好きな男の子と、みんなの列から少し遅れて歩いておしゃべりした

自由歩行で足が痛くて半泣きになりながら、あまり喋ったことがないグループの子たちを見つけて、励まし合って歩いた

3年のうち合計6日間、苦しくて楽しくて、
あれだけダサい白ジャーが、ちょっと好きになるイベントだった。
みんなで同じ格好をして、一体感も出ていたのかもしれない。


そして、結局卒業して何年経っても、わたしたちは歩く会が好きだ。
このご時世、よくこんなハードな行事がギリギリ残ってくれているなと思う。
でも、やっぱり少し厳しい環境を仲間と過ごすことって、かけがえのないものだったなってこの歳になっても感じるわけです。

歩き始めたら、諦めるか、やり切るかの2択しかない。
ちょっとやめてみようかな、じゃない。
やめたら、二度と再開できないのだ。
その時は気づかなかったけど、それはもしかすると初めての経験だったのかもしれない。

白い服を見るたびに、頭の片隅でいつも白ジャーと、歩く会のことを思い出す。
そんな、お話でした。

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