【読んでみましたアジア本】民主主義は進歩しているのかを問う: アルンダティ・ロイ『民主主義のあとに生き残るものは』(岩波書店)

「民主主義のあとに生き残るものは」とは大きく出たものだ。だが、この本は「民主主義のあと」について論じているというよりも、今この瞬間に我われが目にしている「民主主義」の現実とその水面下に行き来するさまざまな、薄汚くも、また強大な連帯関係について語り、「民主主義」に満足している我われに民主主義の本質を説く内容になっている。

運悪くというべきか、体験してもらえて良かったというべきか、著者は2001年3月10日に講演のために日本を訪れた。翌々日に予定されていた講演は当然のことながら直後に起こった大地震で中止になり、この講演稿も宙に浮いてしまった。長年訪日を要請した結果のせっかく実現した来日を無駄にしないために書籍化されたのがこの本だ。そしてその中止された講演のタイトルがそのまま本著の書名になった。

でも、「おまえも民主主義を狂信的に信じている輩の一人だ」といわれるかもしれないことを覚悟で敢えて言うと、このタイトルから伝わる「将来的に我われも民主主義を脱ぎ捨てる時が来るのだ」というイメージになにか居心地の悪さを感じた。というのも、「民主主義を脱ぎ捨てる」ような物言いこそが、本書で著者が一貫して批判している「消費主義」的な思考方法で、今我われが身体にまとっているものを脱ぎ捨てることで進歩できるという単純な主張のようにも響くからだ。

だが、本著のきっかけになった講演稿だけではわかりにくいが、同時に収録されている著者による政治エッセイ「資本主義」「自由」を読むと、著者は必ずしも「民主主義を脱ぎ捨てて、さあ次へ」と主張しているわけではない。そこにはっきりとした筋道で披露された著者の考えは、わかりやすい説明になっており、また「狂信的な民主主義信奉者」であっても理解しやすいはずだ。その集大成として、またその場においてインドの代表者として論じられているのが表題の講演稿であり、さらには冒頭におかれた「ウォール街選挙運動支援演説」なのだ。

これはある意味、演説に触れて初めてその人の著書を読むか、それともその人の日頃の論説に感銘して演説に出かけるかの選択の問題なのかも知れない。きっと、「知の宝庫」岩波書店は昔ながらの知識人的な読者層に向けてこの本を作り、まずは知識人好きのするインパクトのある演説を最初に持ってきたのだろう。

けれど、ネットでまず情報の片鱗に触れるところから「知」への興味が始まるわたしのような人間にとっては、後ろに収録された「資本主義」「自由」といったテーマ論考を先に読むことで、それらを土台に著者が世界に向けて論を展開するような「アップグレード版」として講演稿や演説を理解しやすかっただろうな、と感じた。なので、この書評を書き上げたらもう一度、ウォール街選挙運動支援演説と、幻となった日本での講演稿を読み直してみるつもりだ。

●「民主主義」によって「あと送り」されるもの

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