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【ぶんぶくちゃいな・全文無料公開】呉靄儀弁護士の最終自己弁論「法律とは人びとの権利を狭めるのではなく保護するものだ」

4月16日、香港の法廷は82歳になる法廷弁護士李柱銘(マーティン・リー)元立法会議員ら民主派9人に8カ月から18カ月の有罪判決を言い渡した。

9人には、2019年8月18日に、警察の許可が出ないまま呼びかけられ、大雨の中約170万人が街を練り歩いたデモの首謀者、扇動者としての容疑がかけられていた。しかし、その一人ひとりが香港がこれまで歩んできた時代に名前を残すほどの「民主派の重鎮」であることは間違いなく、この判決が香港の歴史にもたらす意味は計り知れないほど深刻だ。

香港の主権返還前から民主活動の先頭に立ち続け、「香港民主の父」と呼ばれるリー氏には懲役11カ月(執行猶予2年)、そしてリー氏と同じく元立法会議員で法廷弁護士を務める、72歳のマーガレット・ン(呉靄儀)氏にも懲役12カ月(執行猶予2年)の判決が下った。これまで法廷を仕事場にしてきた二人だが、もちろん初めての被告体験であり、有罪判決となった。

二人に共通するこの「法廷弁護士」とは英語では「barrister」(バリスター)、あるいは「bar」と呼ばれる。香港はイギリス植民時代からイギリスの「コモンロー」システムが採られており、その下で「法廷弁護士」は文字通り法廷での裁判に出廷する弁護士を指しており、訴訟業務以外の事務や書類などの業務を担当する事務弁護士「Solicitor」(ソリシター)と区別されている。つまり、法廷弁護士は一般人にとって法廷に立たされ、運命を左右される時に頼る弁護士であり、香港では社会的尊敬を込めて「大律師」(大弁護士)とも呼ばれる社会エリートである。

16日の判決前、ン氏は自身の弁護団を断り、自ら最終弁論を行った。2019年の一連の抗議活動が法廷にあげられる中、香港の民主を守り続けてきた「老人」すら法に問われるという皮肉の中、ン氏の弁論は緊張感に包まれた法廷から拍手が起きたという。

ここにその全文を掲載したい。もちろん、その内容は香港の事態について述べられているものの、ン氏がたどり、また経験の中から学んできた「法の支配」や「法律と庶民の関係」がはっきりと述べられており、民主制度の中で暮らしている(と思っている)我われ日本人にとっても、改めて司法制度について思考を刺激される内容になっているからだ。

ン氏はこの弁論の中でも述べられているが、学術の世界から法律の世界に転じ、その後ジャーナリストとして経験を積んだ、ちょっと変わった経歴を持つ。そして法廷弁護士になってからまた議員の道を歩んだお陰で、法廷内外に幅広い交流人脈を持つ人物である。その彼女の経験と視野から学べることは非常に多いと思う。

なお、文中、日本人にはわかりにくい点には訳者が[]で解説や注釈を設けた。原文は文末に記した香港ネットメディア「衆新聞」に掲載された全文記事を、ン氏とも親しい李月華・編集長の同意を得て参考にさせてもらった。

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Margaret_Ng_Ngoi-yee_in_March_2018のコピー

(マーガレット・ン弁護士。By VOA - https://www.voacantonese.com/a/hk-concern-group-urge-govt-to-withdraw-co-location-bill/4301859.html

呉靄儀(Margaret Ng)弁護士による最終自己弁論全文(2021年4月16日)

裁判長、ここでわたし個人の経歴、そして仕事の上でずっと守り続けてきた個人的な信念について発言する機会を許してくださったことに感謝します。

わたしは1988年に法廷弁護士の資格を取得しましたが、もともとは法律を学んでいたわけではありませんでした。わたしは寛容な両親のおかげで香港とボストンの大学で10年間、哲学を専攻しました。そこでわたしは真理を追求し、いかに人類の苦しみを軽減するかにおいて、慎重な行動と深い思考が必要であることを学んだのです。

1981年にケンブリッジ大学で改めて法律を学ぶようになったのは、わたしにとって大きな転換点となりました。ちょうど中国とイギリスの交渉が始まり、香港の未来を考える上で重要な時期でした。

わたしたちの世代は、主権返還後いかに香港の自由ともとからの生活様式を維持するための方法を探し求めることに力を尽くしました。それはすべての人たちにとって非常に重要であり、そのためにわたしは法廷弁護士資格を取得した後すぐには開業せず、「明報」[*1]で編集者となる道を選びました。というのも、わたしは強く自由なメディアジャーナリズムが香港の将来には非常に重要であると深く信じていたためであり、わたし自身その時点で時事評論家としての一定の地位を築きつつあったからです。

[*1]「明報」:香港のリベラル紙。ウェブサイトはhttps://bit.ly/3tmAasx

●法の支配にとって重要なのは市民の信頼

1990年に弁護士としてのキャリアを開始しましたが、1995年になって立法評議会[*2]の法律界功能組[*3]代表議員選に出馬しないかと声をかけられました。

[*2] 立法評議会:イギリス植民地下の香港にあった最高議決機関。
[*3]功能組:産業界関係者によって選出される議員。地区ブロックごとの民選議員と区別されてこう呼ばれる。

裁判長、法律界はコモンローの市民の自由という伝統に培われており、不平等な選挙[*4]を受け入れることはしていませんでしたが、そこにその議席がある時、自らの名の下に法の支配を危うくすることもまた許してはならないと考えていました。

[*4]不平等な選挙:産業界関係者が投票して選出する功能組の存在は一部市民のみが立法会に2票行使できることを意味しており、不公平な存在だとみなされていた。2019年のデモでは市民から功能組を解消し、全議員の直接選挙導入を急ぐよう求める要求が上がっていた。

そこでわたしが法律界の代表議員に選出され、香港の人びとの信頼を受けたことで、その議席を通じて法律の保護を受け、香港人の権利と自由を守る法律制度を維持することになりました。わたしには、法の支配を損なう法案を阻止するために全力を尽くす、そして同時に法の支配を支えるこの制度を守るという二重の使命が課せられました。中でも最も大事なのは、司法の独立と司法の実践です。

これらはわたしが自ら履行を誓った使命でした。それにはまず、立法評議会の各委員会において真摯に働くことが求められていました。

わたしは立法会議員[*5]を18年間(1997年から1998年8月の臨時立法会期間中議席を持たなかった1年[*6]を含む)務め、うち17年は司法及び法律事務委員会の主席を務め、司法機関の関連法律製作やその編成の監督責任を負っていました。その担当範囲は裁判所の建設地やその費用、法律政策、法律支援、法律専門機関、法律サービス、及び法教育に及びました。委員会において大量の議題を提案、討論し、解決してきました。

[*5]立法会議員: ここでは前述のイギリス植民地下の立法評議会議員時代と返還後の立法会議員時代を合わせてこう呼んでいる。
[*6]臨時立法会期間中議席を持たなかった1年:1997年1月25日から1998年6月30日までを指す。中国政府は植民地下選出議員の返還後議会への横滑りを拒絶し、主権返還後の香港基本法下で改めて選挙が行うとし、その間議員を指名して臨時議会を運営させた。

一部の仕事においては斬新な方法で紛争を解決する必要がありました。事務弁護士の接見権[*7]の引き上げをめぐる激しい論争が起こった際には、見苦しい縄張り争いをするよりも、公共の利益に基づくべきだとして最終法院首席裁判長の介入を求めました。市民による法律のプロたちへの信頼維持が法の支配には大変重要だからです。

[*7]事務弁護士の接見権:法廷弁護士は事務弁護士が法廷訴訟が必要と判断した時点で招聘するが、その訴訟内容に事務弁護士が関わる際の権限範囲を指す。

その他にも、法律支援補助制度を拡大して法的代理人のいない訴訟当事者の支援を行い、市民にさらに身近で有益な無料コミュニティ法律コンサルティングサービスを提供するため、大変な努力をして解決案を探ったケースもあります。

しかし、計画は挫折することもたびたびでした。2002年、余若薇弁護士[*8]も立法会議員だった頃に、ともにNGOと協力して、コミュニティ法律サービスセンターを設立し、市民にタイムリーで実用的な法律コンサルティングサービスを提供することを提案したこともあります。この提案は当時の政府に却下されましたが、このアイディアはその後別の場で実を結ぶことになりました。

[*8]余若薇弁護士:オードリー・ユー。公民党の主席を務めたこともある元立法会議員で、法廷弁護士。一連のデモ関連の法廷でも弁護活動に積極的に関わっている。

●法律は人びとの権利を奪うものにあらず

我われが円滑に紛争を処理するためには勤勉さと忍耐力が必要だとたびたび感じてきました。しかし、基本的価値を損なうことが起きたときにはすぐさま、力強い声明と対応が求められます。

1999年6月に最終法院が呉嘉玲居留権争議[*9]に関して判決を行った後で、全国人民代表大会[全人代]常務委員会が初めて「香港基本法」に法解釈を行い、最終法院の判決を覆しました[*10]。全人代の法解釈は香港の裁判所の最終裁定権に対する世界的な信頼を揺るがすものでした。6月30日、わたしと600人を超える法律関係者は静かに行進し、当時の最終法院があった砲台里[Battery Path、地名]の入口前で静かに佇み、抗議を示しました。あの大事な時点で裁判所に対するしっかりとした支持を表明することは、社会を落胆させないために必要だったのです。

[*9]呉嘉玲居留権争議:1997年7月9日に制定された条例で、同月4日に香港人の父親を頼って香港に来た中国生まれの少女、呉嘉玲さんが違法入境に問われたのは違憲とする裁判。呉さんの母親と香港人の父親が正式な婚姻関係を結んでいなかったことが大きな争点となったが、親子の証明ができれば婚姻関係は問わずに香港人の子供を香港人とみなすとした。
[*10]最終法院の判決を覆し:呉嘉玲判決を機に大量の非婚子が香港に押し寄せることを恐れた中国政府が、全人代で香港基本法の超法規的解釈を行い、それを途絶した。当時香港人と中国人の非婚子は100万人を超えると言われていた。しかし、これは中国による香港の法律への介入第一号として、大論争に発展した。

裁判長、法の支配を守ることは積極的に法律制定プロセスに関わることでもあります。わたしは記録によると155の法案審査委員会に参与し、法律の審議に大量の時間を費やしてきました。立法機関が可決する法律は健全であり、権利に基づき、最高の基準に達していること、それは法治にとって非常に重要なことなのです。

というのも、法律の条文が裁判官の望むとおりのものでないとしても、彼らはその条文を適用する義務を負っています。法律の条文が法廷で試されるとき、弁護士はそれがどのように機能するのか、あるいは機能しないのかを一般の人たちよりもよく知っています。

このため、わたしと我われ法律界は緊密に協力したこと、そしてそのことに非常に感謝しています。我われは、市民の権利が不用意に、あるいは不必要に損なわれることがないようにと力を尽くしました。

法律は人びとの権利を保護するべきものであり、それを奪うものではありません。香港といういまだに民主制度がない場所においては特にそうです。人びとは法律によって自身を守り、裁判所は法律の最終的な仲裁者です。我われは、裁判所が人びとの基本的権利を奪う法律を用いた際には、それが法律条文の間違いであってその法律を運用した裁判官の間違いではなくても、市民の裁判所と司法の独立への信頼は揺らぎ、そして法の支配の根底を揺るがすことになることを常に肝に命じておかねばなりません。

●「司法が陰謀に加担してはならない」元判事の戒め

裁判長、その責任の重要性をわたしがしっかりと認識したのは、1999年2月8日に当時の最終法院首席裁判官だった李国能氏の招きで香港を訪れ、司法機関と法律界関係者に向けて講演を行ったアンソニー・ケネディ元米国最高裁判事の言葉でした。彼はそこで、わたしたちが直面している課題と司法の独立の重要な役割について深く感銘を受けたと言い、こう語ったのです。

「司法独立の要件の一つとして、裁判官が社会的自由と人間の自由を確保するために、司法的解決が可能なすべての事項を決定するための管轄権、権利、そして公的能力を持っていることがある。もし、裁判所にそのような管轄権がなければ、法律界と市民は必ず管轄権の拡大を求めて圧力をかけ続けなければならない。それは非常に大事なことだ。なぜなら、もし法律界と社会が司法権の狭窄さに無関心だと思われれば、司法が事実あるいは認識面において、人身の自由を奪うよりもさらに大きな陰謀に加担してしまうリスクがあるからだ」

これは非常に厳しい言葉です。

でも、裁判長、わたしはその権威性を受け入れ、またそこから法廷弁護士は司法の独立に対して最大限の責任を負うのだと考えるようになりました。裁判長、ここで無礼のないように言っておきますが、司法の独立を守るというのは決して裁判官個人の利益を守ることではなく、裁判官が何者を恐れずに法の支配を守るためなのです。

法の支配を守るということは、双方向のものです。

わたしは、立法会の法律界議員は社会の声を聞き、相談に乗り、法について説明を行う義務があると考えています。市民に彼らが持っている権利と義務についての注意を促し、不明瞭でわかりにくいことを説明し、市民の不安を和らげ、市民が関心を示したり、誤りを指摘するよう促し、真摯にそれらの関心に応え、政府の前に立って力強く彼らを代表することです。法律が市民の求めに応えられないときには、彼らと一緒に解決方法を探る必要があると考えます。

一般の読者にわかりやすい言葉でローカルメディアに記事を寄せる、それはわたしが続ける市民と接触手段の一つです。なぜなら、すべての人たちが自分の生活環境が置かれた法律を理解しているべきだからです。近年、今日に至るもわたしはこの手段を放棄していません。ときには、特に法律の改革が必要な議題について学術論文を出版したり、学術フォーラムに投稿することもあります。

●「市民的不服従」は政府への警告

裁判長、立法会で政府とともに仕事をするうちに、わたしは法の支配に影響するのは法律だけではなく、ガバナンスもまた同じように大事なのだと意識するに至りました。というのも、法律は必ずや「香港の平和、秩序、そして良好なガバナンス」のためにあるからです。権利を保護する法律は、人びとの政府への信頼獲得につながり、信頼があれば良好なガバナンスの助けになります。

だから、民選による代表はその政府に対して異議を提出する責任を負っているのです。それは提案、忠告、勧告、ときには警告という形で行われます。

我われの法律は一体、権利に真摯に向き合っているのでしょうか? 弁護士は誰よりもはっきりと、法律が完璧ではないと知っています。ならばなぜ、人びとは法律を尊重し、服従しなければならないのか? 

そこにはもちろんさまざまな答えがありますが、わたしはこんなふうに自分に言い聞かせています。「もし法律が正義に最も近いものであるならば、我われは人びとに法律を遵守するように求めるべきである」と。だからこそ、我われには法律への批判に耳を傾け、真摯に法律を整備し、できる限り間違いを修正していく責任があるのです。

正義は法律の魂であり、正義がなければ、法律はたとえそれが大多数の力であろうと、力による暴力にまで落ちてしまいます。

今回の裁判中、2000年12月21日に立法会で取り上げられている公安条例に関する議論について裁判長も触れておられましたね。

わたしはその議論において現行条例の欠陥を指摘しました。それは長い間、法曹関係者を悩ませて来た欠陥でもありました。わたしは政府に対して、真摯に改革について考え、人びとを絶望に追い込むことによって法律が守られなくなることを避けなければならないと警告しました。パネルディスカッションの場である人が「市民的不服従」[*11]について触れると、保安局長はそれを「威嚇」だと呼びました。しかし、それは威嚇というよりも、警告や注意喚起だとみなすべきはずです。

[*11]「市民的不服従」:特定の法律や命令に対して良心に基づいて従うことができないと判断した市民が、非暴力による手段でそれに従わないこと。昨今のミャンマーデモでも用いられているが、香港では2014年の雨傘運動で提唱されていた。

わたしは政府に対して、改革のための合理的な議論を締め出さないよう呼びかけました。なぜなら、政府のその頑固な態度が、市民的不服従を不可避かつ正当化する条件となるリスクを孕んでいたからです。それは誰もが望んでいるものではありませんでした。

●平和が勝利すると信じ続ける

立法会での日々はわたしの一生に影響しています。裁判長、法の支配を守るということはつまり、我われが真摯に自身の権利を取り扱うことです。これはまた生涯かけての奮闘目標でもあります。

香港人にとって、表現の自由と集会の自由以上に貴重なものはありません。真相を表明する自由は人の尊厳に関わるばかりではなく、それこそ我われの尊敬する裁判官が何度も語っているとおり、民主社会の最後の安全弁でもあります。これらの権利を尊重すること、それは法の支配において避けることができない部分です。

わたしは、法廷や立法会内だけではなく、街頭やコミュニティにおいても法の支配は守られるべきだと考えます。裁判長、わたしは立法会において数え切れないほど発言をしてきましたが、議事堂内の特権的に守られ、刑事責任を免除された中での麗しい言葉やもったいぶった威厳だけでは十分ではないことも意識しています。

人びとが最後の手段として不満を表明し、集団で政府の対応を求め、政府が彼らの権利を尊重してくれるだろうと期待している時、わたしは必ず彼らの側に立ち、彼らとともに、彼らのために立ち上がる覚悟をしなければなりません。そうでなければ、わたしの誓約や公約はすべて空の言葉だったことになるからです。

裁判長、香港人は平和を愛し、秩序をきちんと守る人たちです。時を経て何度も証明されたのは、彼らは非常に高ぶった感情的な場面においても、毅然と自己を抑制することを忘れないということです。

1997年6月30日と7月1日の主権引き渡しの大事な瞬間、あの重大な日々を何事もなく過ごすことができました。2003年7月1日に50万人が街をデモ行進しましたが、ガラスの1枚も割られることはありませんでした。2019年に至っても、100万人を超える人たちが6月9日にデモ行進し、さらに16日には200万人が街を練り歩いたときも、多くの市民が平和的できちんとした秩序を守り、世界中の驚きの声と称賛を受けました。

今回裁かれている事件でもそのことがまた証明されました。

主催者の推定によると8月18日当日[*12]には170万人を超える市民が参加しました。数字が正確かどうかは別にして、膨大な群衆がびっしりと現場と周辺地域を埋め尽くし、降り注ぐ雨の中でじっと忍耐強く待ち続ける様子は、紛れもなく後世に語り継がれていく映像として残されています。あの数と声を上げたいという感情の高ぶりにあっても、その自制的な姿は誰の目にも明らかでした。

[*12]8月18日当日:この日のデモの様子を撮影した動画がこちら

そして、それが平和的で秩序的であったことについては検察側も異論がないことは、その点がこの法廷で論じられないことからしても明らかでしょう。

人びとは「平和的、合理的、そして非暴力」を呼びかけた主催者を信頼し続けました。そんな彼らを見捨てるどころか、我われは彼らと肩を並べて、平和が勝利すると信じ続けなければなりません。

●「法のために人が奉仕するのではない」

あのときのデモが平和的だったことは2日後に林鄭月娥行政長官にも認められ、政府と市民の対話を進めるという前向きな効果を生みました。そうして行われた対話は結局継続されることはありませんでしたが、それでも正しい一歩であったことは間違いありません。我われは希望を育み、それを継続させていくべきです。ケネディ元判事が集まった法曹関係者にこんなふうに呼びかけたように。

「あなたは当事者に理由を語らなければなりません。社会に向けて正義に正義を語らなければなりません。あなたは権力に向かって真実を語らなければなりません」

裁判長、わたしは法律の世界に入ったのは遅めでしたが、法の支配のために年を重ねてきました。法曹界の聖者と呼ばれているトーマス・モア卿[*13]は、国王の意向どおりに法を曲げなかったことで反逆罪で裁かれました。彼の最後の言葉はよく知られていますが、ここでわたしは少しそれをアレンジしてお伝えしたいと思います。

[*13]トーマス・モア卿:1478年-1535年。イングランドの法律家で最高裁判官に上り詰めたが、当時の王ヘンリー8世の命令に従わず反逆罪で処刑された。1935年にカトリック教会で聖人に指名された。

「わたしは法の良きしもべであるが、人びとの第一のしもべである。法は人のために奉仕するものであり、法のために人が奉仕するのではない。」

裁判長、ここでわたしの代理を務めてくれた弁護団に感謝の言葉を述べることをお許しください。彼らのたゆまぬ努力と卓越した能力のおかげで、わたしが法廷弁護士の一員であることに深く誇りに思います。

わたしの弁論は以上です。裁判長、ありがとうございました。

(原文:衆新聞「呉靄儀陳詞:法律應侍奉人民 而非人民臣服法律」

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