【ぶんぶくちゃいな】真理と真相、欧米と日本のメディアギャップ

今年を振り返ると、一に香港、二に香港、三、四がなくて五に香港であった。

香港事情についてはずっと、たぶん中国関連の書き手としてはこれまで最もたびたび、何かが起こるたびに書いてきたのではないかと自負しているが、それにしても今年起きた出来事は懸念はしていたものの、さまざまな意味で予想を超えていた。

詳細についてはここで改めて述べる必要はないだろう。そして、もちろん今後もなにかあるごとに書き続けていくつもりなのだが、この間、わたしにも外部メディアから原稿執筆依頼や番組出演依頼があり、取捨選択しながらそれに応じてきた。ご興味を持っていただけた方はきっとご覧いただけているはずだし、そうでない方には「それなりに」、情報は届けられたと思う。

その間、「予想を超えていた」ことの一つとして、香港での事態が日本でも大騒ぎになるにつれて香港事情に関心を持ち、現地に乗り込み、その状況を伝えようとした人たちの間に、自分と違う視点から事態を捉えた人を「ディスる」という行為が多く見られた。

何度も書いてきたように、ずっと香港事情を追い続けてきた人と違って、「事件が起きた」ので香港に飛んだ人にはやはり見えていないものは多い。それは香港に限らず、その対象がなんであっても同じだ。「付け焼き刃」と言ってしまうと身も蓋もないが、たとえばジャーナリストとして「アウェイ」の場で取材をし、書くことに慣れている人であっても、日常を知る人からすれば「不足」は必ずある。だが、その一方で日常を知っているからといっても、目の前で起きたさまざまな要素が絡まりあった事態を一瞬で理解することが出来ないのも事実だ。

ここでちょっと横道にそれるが、こんなとき、わたしが自分でも予想もしていなかった「編集者」という職についたときにこの道30年のイギリス人上司に言われたことをいつも思い出す。とにかく、雑誌の1ページをいかに作るかすら知らなかったわたしに、上司はこういった。

たとえば、香港の食をテーマに記事を依頼する時、ある親しい書き手に「今回、食がテーマだからこうこうこれこれでこんなふうな記事が欲しい」と頼むか。それとも、長年香港の食について研究してきた人に、「なにかおもしろい切り口はありませんか?」と雑談しながら依頼するか。日頃情報を蓄え続けてきた人、あるいはそのことに興味を持ち続けている人は、同じ原稿料でも思わぬネタを持っている。親しいライターは真面目で一生懸命リサーチする人かもしれないが、長年の熱意と知識を蓄えている人にはかなわない。だから、同じ原稿料で出来上がった原稿はまったく内容の深みが違う。なので、ライターを採用する時は必ず、その人がどんなことに興味を持っているかをきちんと理解した上で採用するのが肝要だ。

この言葉を信じて、わたしはある「食べること、食のうんちくが大好き」なライター「候補」を「レストラン紹介」の欄に起用したことがある。「候補」というのは、それがその人にとっては初めての執筆仕事であり、出してきた記事は実際悪文で掲載前にかなり手を入れなければならなかったからだ。だが、話題性や切込み方はピカイチだった。定型記事であまり読者からの反響というものを期待していなかった欄だったのに、「おもしろい!」というコメントがついたのには起用したわたし自身にとっても意外だった。

だから、わたしにとってこの上司の言葉は金言となっていて、自分自身がフリーランスの書き手になってからも、「メルマガに現地の観光情報を入れれば、もっとウケる層が広がるはず」といわれても、断り続けてきた。もちろん、トライ&エラーの気分で手を出すことはあっても、あまり得意でない分野の仕事を「中国だから」とか「香港だから」というだけで受けることはしなかった。その分、自分の関心にはこだわってきたつもりだ。そして、この世界では人それぞれにそのこだわりがあるというのも理解しており、そのために自分の集めた情報にそぐわない話題に対して一言言いたくなるのも道理だと思っている。

●定説を翻す、「一個人」の思いとは

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