【読んでみましたアジア本】細やかな感受性と落ち着いた視野が印象的な天才ハッカーの言葉/アイリス・チュウ、鄭仲嵐『Au オードリー・タン 天才IT相7つの顔』(文藝春秋)


「オードリー・タン」あるいは「唐鳳」という名前を言われても、日本ではまだまだ「だれ?」という人のほうが多いだろう。

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大後、広くメディアに取り上げられつつはあるが、それでもその名前はかなり一部の人たちの間で語られているに過ぎない。日本における最大情報拡散ツールである、テレビ局のニュースワイドショーでまだ本格的に取り上げられていないからだ。

でも、だからといって、わたしはもっとワイドショーも取り上げるべきだとは思わない。できればそちらの筋の人たちにはそっとしておいてほしい。ワイドショーが「ニュース」の名のもとで取り上げた話題が、その当然ながらワイドショー的な注目の仕方、そして騒ぎ方で、本来なら大事な情報をあさっての方に向けたお祭り騒ぎにしてしまい、勝手にブーム化してその賞味期限は過ぎたと宣言して忘れていくことを繰り返してきた。

実際に多くの大事な、討論されて前進すべききっかけになる情報が消えていった。恥ずかしながら、オードリーが台湾で、そしてウェブの世界で目指しているオープンで正しく、公平に討論する機会を今の日本のメディア状況は作れていないし、公的に目指す動きも見られない。その結果、日本の停滞はあまりにも明らかだ。

わたしはオードリーを、そしてその環境や時代や背景を、そうした馬鹿騒ぎで消費されたくない。とはいえ、今の日本のニュースワイドショーには彼女を取り上げて話題にできるほどの「知力」はないので、しばしありえないことだろうが。

念の為に言っておくが、いわゆる今の日本のテレビ局(オンラインも含め)の顔になっている、人気タレントや芸能人をスタジオに招いた「ニュース番組」は、決して本来のニュースではない。テレビ局でその製作に関わっている人たちは記者でもなく、ニュース編集者でもない。ほとんどが外注の(あるいは「出入りの」)バラエティ番組制作スタッフなのだ。もちろんジャーナリストでもない。

彼らはテレビ局の正社員ですらなく、制作会社と言う名の下請けとして番組作りに関わっている場合がほとんどで、毎日同じ時間帯に放送される番組の「ネタ」探しに奔走している。そう、ニュース報道のように仕立て上げられているが見せられているのは「ネタ」なのだ。

一方で、ジャーナリストは取り上げた一つ一つの話題に関心を持ち、吟味し、深く掘り下げ、継続して事態の経緯を見守り続ける人たちだ。だがバラエティのワイドショーではタレントたちが大げさに騒いで、視聴者を「代弁」するかの素振りを見せる。それらはすべて脚本に書かれた動作なのに。

本当のニュースに脚本はない。だからこそ、それをニュースだと勘違いしてはならないのだが、現時点の日本ではほとんどのすべての「ニュース」とやらが、ワイドショーで消費されている。ワイドショーが取り上げなくなったら、人々の討論から多くが消えていく。

「新聞があるじゃないか」という人もいる。確かに新聞はワイドショーよりマシだ。だが、「ネットより新聞のほうがいろんな、予測していなかった情報が目に入ってくる」というのはすでに大ウソになっている。新聞を読む人がそこに書かれていることすべてを頭に入れているわけではない。同様に「隣に並ぶ記事を読んでみた」は、ネットでも起こりうる。今やその点において新聞もネットも大きな違いはない。

つまり、今やテレビも新聞もネットも、どれが情報ツールとして優れているか、あるいはどこに大事な情報が転がっているか、において、ほとんど遜色がなくなっている。選択するのは結局は自分自身なのだ。

オードリー・タンは台湾において、ネットを使った情報伝達の仕組みを変え、そこからさらに社会を大きく変える役目を果たした人物の一人なのである。

●世界が注目する天才IT大臣の素顔

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