【読んでみました中国本】現代から過去へ、香港のリマーカブルな時代をたどる推理小説:「13・67」陳浩基・著/天野健太郎・訳(文藝春秋)

先週、「『英雄本色』が放映3日間で興行収入2017万人民元(約3億4000万円)となった」という記事が中国の新聞に流れていた。

香港映画「英雄本色」は1986年、今では世界的な名監督の1人となったジョン・ウー(呉宇森)の出世作である。日本では「男たちの挽歌」というタイトルで、1987年で公開された。

日本では劇場公開後にビデオになってからこの映画はバカ売れした。ちょうど公開時にわたしは仕事を辞めて、香港への移住準備を進めていたときで、香港のビクトリアハーバーの風景がロングカメラでどーんと収められたこの映画を観に、たびたび映画館に通った。その時は映画館はほぼがらがらで、どの時間帯でも5、6人くらいしか観客がおらず、その中でわたしは行きたくてたまらない香港の風景を眺めながらただひたすら涙を流していた(笑)。

日本といえば、当時香港映画といえば、ジャッキー・チェン、あるいはもっとマニアックに好きな人ならコメディアンのホイ3兄弟の「Mr.Boo」シリーズか、キョンシー映画くらいしか注目を引いていなかった。この分類を見てもわかるように、香港映画にストーリーは求められておらず、とにかくわくわくどきどき、わっはっは(キョンシー映画は幽霊映画だが、とにかく明るいドタバタものが主流)しか求められていなかった。だから、知らない監督、知らない俳優、そして笑いを売りにするでもない映画は本当に「お呼び」ではなかったのだ。

その後1〜2年して、日本で香港ブームが起きた。ブランド買い物ブームや海外キャリアブーム、海外旅行ブームで手頃な土地として香港に注目が集まり、その流れでビデオになっていた「男たちの挽歌」が「発掘」され、相当な注目を浴びるようになったらしい。わたしはもう当時、香港で暮らしていたので詳しい経緯はよくわからないのだが、日本から次から次へとやってくる人たちに「あなたもキャリアを香港で磨こうと?」と誤解され、「香港で暮らせるなんて羨ましいッ!」と好きなスイーツでも見つめるかのように言われ続けてちょっとうざかった。

念のために書いておくが、わたしが87年に「香港に留学する」と決めたときには、日本の周囲はみなこぞってけげんな顔をしていた。中国語学習関連の知り合いは「中国語を極めるなら北京」と信じて疑っていなかったし、普通の知り合いや家族は「はぁ?」という感じで、ほぼ「都落ち」のように言われ、そのうちの一人として「羨ましい」などという人はいなかったのだ。90年代に入って某日系人材サービス企業がぶち上げた「香港でキャリアアップ!」というブームが起ころうとは、当然のことながら想像もしていなかった。

そんな中で香港行きの準備を進めていたわたしは、同じ年に「男たちの挽歌」が封切られたことに勝手に「運命」を感じ、さめざめと映画館で涙を流し、その世界に没頭した。

そして「男たちの挽歌」は、「香港ノワール」という新しい香港映画のジャンルを日本に植え付けたリマーカブルな作品となった。

●香港ノワール:映画と小説の距離

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