【ぶんぶくちゃいな】アメリカ大統領選と民主主義のコスト

わたしがSNSでつながっている中国の友人たちは、ほとんどが中国にいながらして博識でリベラルな人で、トランプ氏の米大統領当選にはかなりショックを受けている。もちろん、彼らの多くが見聞きはしても「民主制度」の中に身を置いているわけではないので、日本人に生まれて「民主制度はあたりまえ」だったわたしの感覚とは微妙な温度差がある。

特にそれを感じるのは、彼らが時に「対岸の人間」として民主制度や民主政治を「理論化」して論じるときだ。ある意味、わたしにとって身近なものとして見慣れた洗濯機を、好奇心豊かな彼らが分解して一つ一つの部品を検証し、またそれがどんな意味を持つかをリストアップするのを眺めるようなものだ。

「そこまでやる必要ある?」と、あなたは思うだろう。わたしも同感だ。だが、そんな彼らの好奇心と探究心は時に、民主制度のお湯にどっぷり使っていい気分になっているわたしをはっとさせる事がある。

たとえば、「民主制度は参加者それぞれが発言でき参与できるという利点があるが、一方で維持するためには独裁よりも大きなコストがかかる」という論だ。

巷に「中国経済は近く崩壊する。お金が無くなれば、中国政府は体制を維持できない」的な論がまかり通っていることを考えると、にわかには信じられないかもしれない。

だが、実際には民主制度を維持するために、人々はやりかけていた仕事の手を止め、候補者に耳を傾け、喧々諤々と議論し、時には意見の相違から友人たちとたもとを分かつような場面も出現する。そして投票日にはみなが予定を「投票」に定め、その瞬間だけでも同一の行為をすることが求められる(それができない人は期間前投票に出向いて同じ行為を「先取り」するわけだ)。

それに比べて、中国では春節や国慶節の休み(法定は5日間)を直近の土日を含めて1週間のゴールデンウィークに仕立てるために、休み前後の別の土日に「振替出勤」して経済活動の「損失」を相殺することが求められる。そんな論理がまかり通る中国的な習慣と比べるなら、民主制度のために全民を駆り出すような行為は(日本の選挙は通常、日曜日に投票するが、アメリカは今年火曜日が投票日だった)やはり「浪費」に映るのである。

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