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【ぶんぶくちゃいな】マルチ商法:「愛国」と「絶望」の間の深い闇

お盆休みに入ったようで、東京の街もあちこち閑散としてきた。就活中の大学生たちもちょっとくらいは息抜きしてせっかくの夏休みを楽しんでいるのだろうか?

中国も今、就活の時期だ。日本と違って中国の就活はそれほどスケジュールの取り決めもなく、逆に縛り付けられることもないので、6月に卒業してからが就活のピークシーズンとなる。もちろん、もっと早くに手を打つ人もいるだろうが、大学最後の年はみな卒論で手一杯で、それと並行してやるのはほぼ不可能だ。

だからといって、中国の大学生の就活が「楽ちん」ということはできない。どちらかというと日本よりも激烈ではないだろうか。

その理由の一つが、大学生が増えすぎてしまったことだ。毎年500万人規模の新卒者が社会に吐き出されていくが、高学歴者を受け入れるためのポストが毎年500万人レベルも出現するわけがない。

一方で、中国ではそれでもまだ進学できない人がいる分、やはり大学卒の学歴は、「社会に認められる手段」としてまだまだ大きな意味を持つ。特に農村出身者であれば、都市生活者以上に「自分の人生を変える」テコになるのである。

その一方で、中国に大学に現実離れした希望を抱いている人たちが多いのも事実だ。

90年代初めまでは大学進学は超がつくほど狭き門だった。大学に入るだけで故郷に錦を飾ることができた。時代は流石に変わったものの、出身地に選択肢が少なければ少ないほど、その土地の人にとって大学進学はいまだに大きな「登竜門」なのである。そんな土地の出身者にとって、大学進学は人生の一発勝負と映る。

しかし、中国経済が世界が驚くほどのスピードで伸びていた2000年代ならともかく、ここ数年は経済は低迷している。政府はマイナス成長にならないように手綱を引くのに一生懸命で、そんな時代に過剰気味の大学卒業生がすべて人も羨むような仕事に就けるわけがない。

その結果、入学の時に描いた「夢」と、思い描いたような仕事が見つからない「現実」のギャップが、大きな「絶望」となって大学生たちに襲いかかる。

「仕事が見つからない」ことを理由に自殺する大学生のニュースはもう珍しいことでもなくなってしまった。「何も死ななくても…」とその視野の狭さに驚く声もある一方で、恵まれない環境の中で育ち、大学にその環境から脱出するために人生のすべてを賭けていた学生たちが受けるショックの大きさは計り知れないのも事実だ。

視野の狭さは情報の偏りも一因だ。

メディアでは国がネガティブな話題を規制する。テレビドラマですら、社会的要因を自殺原因に設定するのはご法度とされている。その結果、メディアにはポジティブな話が流れやすく、未来はバラ色だと思っている学生たちはそんな話が自分の未来だと信じ込んでしまいやすい。だが現実が自分に覆いかぶさってきたとき、梯子を外された気分になってしまいやすいのである。

自殺という手段を選ばないまでも、理想ではない仕事に就いたものの、やはり心の折り合いがつかずに転職を繰り返す、ほんのすこしのチャンスにすがりつこうとする。だが、前述したように大学卒業生がすでに飽和状態を超えており、経済自体がぱっとしない今、チャンスは彼らがかつて耳にしたほど転がってはいないのだ。

だが、李文星さんも現状に甘んじられない一人だった。

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