コロナ禍の「マジカルミライ」で再認識した、初音ミクの"スゴさ"と"脆さ"
このコロナ禍でイベントを「開催した」のではない、
「開催しなければならなかった」。
それほどに、初音ミクという存在は脆い。
なんて。
マジカルミライ2020
「マジカルミライ」
初音ミクが歌う"ライブ"と、
初音ミク関係のグッズ販売をメインとした"展示会"とが合体した一大イベントです。
詳細は省きますが、2013年から始まり、
基本的に年に1回、大阪と東京の両都市で開催されます。
そんなマジカルミライに今年も参加してきました。
いやほんと…ライブ良かったですね。
大阪の初日では太陽系デスコでブチ上がり、命に嫌われているで震え、愛されなくても君がいるで泣く。
12月の幕張ではブレス・ユア・ブレスで涙が止まらなくなり、アンコールでぽかぽかの星をやってくれた感動でまた泣きました。
夏の延期とコロナ第3波を乗り越えて
このマジカルミライ、今年は8月に大阪、12月に東京の予定だったのですが、コロナの影響で大阪公演が11月に延期。
しかも延期された11月に向けてコロナの第3波が到来。
まさか今年の開催は見送りでは…?とヒヤッとさせられましたが、
さまざまな感染予防対策を行った上で、大阪も東京も無事に開催されました。
こんな状況下でも開催してくれたことに対して、
ファンとしてはありがたさしかありません。
一方で、どうしても気になるのが金銭的なところ。
今回のライブは感染防止(間隔確保)のために、
平年に比べてライブの座席数は半分。
それすなわち、いつもの半分の収益しかないということ。
普通に考えて赤字経営な気がするんですが……運営大丈夫なの?
そもそもコロナ禍で、今年予定されていたアーティストの(リアルな)ライブは延期・中止が相次いでいます。
配信ライブに切り替えたアーティストもいましたね。
自分が3月に行く予定だったRADWIMPSのライブも延期となりました。
しかも代替日は今になっても未定という有り様……。
しかし。
マジカルミライは延期にこそなったものの、まだまだライブイベントが復活しないこのタイミングで、開催を決行しました。
それも、座席数を半分に削ってまで。
そこまで身を削ってもなお、開催にこぎ着けた理由。
マジカルミライの全日程が終わって、少しわかった気がしました。
初音ミクという存在の”スゴさ”
アーティスト、
たとえば自分の好きなRADWIMPSを例に挙げます。
今年の3月に予定してたライブが延期となって以降、
リアルイベントの開催はゼロ。
とはいえ、RADWIMPSの活動がなくなったわけではなく、
曲は作り続けているし、CDも発売されている。
RADWIMPSの存在が、このコロナ禍でもちゃんと
リスナーには認知されています。
一方で初音ミクはというと。
曲を作っているのはミク自身ではありません。
あくまでみんなが作った曲を歌うだけ。
つまり、みんなが曲を作ってくれるおかげで、
初音ミクという存在が保たれている。
普通のアーティストとは勝手が違います。
でも、それこそが初音ミクの凄さだったんですよね。
最初は公式パッケージのイラストと、
サンプル曲の歌しかなかった初音ミク。
そこにみんなが思い思いの曲を作って、
初音ミクに歌わせていった。
そのうち、曲から着想を得た人がイラストを描くようになり、
作曲界隈で盛り上がっていた初音ミクが、次第にイラスト界隈にも広がっていくようになった。
絵と曲、2つの世界が相互作用を起こしながら、
まるで宇宙のビッグバンのように、瞬く間に「初音ミク」のキャラクター性が広がっていった。
『今やもう 誰の目にも同じ ひとりの人間』
(ブレス・ユア・ブレス / 和田たけあき)
かつては《ボーカロイド=ボーカルの代替品》として生まれた「初音ミク」が、今や「ミク"ちゃん"」と、一人の《人》として存在している。
…いや、ミュージックシーンでの存在感を考えると、
もはやひとつの「ジャンル」というべきなのかもしれません。
本当に、ここ数年間でとんでもないことになってしまいました。
初音ミクという存在の”脆さ”
みんなの力によってここまで巨大になった、初音ミクという存在。
それは同時に、このビッグバン的現象が終わった時、
初音ミクという存在が危ぶまれるということでもあります。
漫画『ワンピース』の中に、
「人はいつ死ぬと思う? みんなに忘れられた時さ」
というセリフがありますが、まさにそんな感じで。
この先、ボーカロイド文化が今のような勢いをなくし、
徐々にミクの曲を人が聴かなくなり、
ミクのイラストを人が描かなくなっていったその時、
初音ミクという存在は消えてしまう。
だから、マジカルミライをやらなくちゃいけない。
1年に1度、大々的に展示とライブをやって、
「初音ミクの曲ってやっぱり凄いな」
「歌ってるミク格好良かったな」
と、初音ミクの実在性を体感してもらわなくちゃいけない。
「いつか自分の曲もライブで演奏してほしいな」
「いつか自分の絵も展示してほしいな」
と、来てくれた人に創作意欲を焚き付けなきゃいけない。
マジカルミライは、初音ミクをはじめとするボーカロイドシリーズの産みの親、クリプトンという会社の主催で行われています。
今回、このイベントを採算度外視でも決行したのには、そういった背景が少なからずあったのではと感じます。
昨今のボカロシーンって
「とはいえ、いちジャンルにもなった初音ミクが
そんなすぐに衰退するとかはないんじゃない?」
確かに、マジカルミライ、体感では年々参加者が増えてきています。
ライブチケットもどんどん取りづらくなっている。
(転売屋の影響も多くあるかとは思うけど。)
チケットが取れないのは非常につらいけど、
盛り上がっているという意味ではありがたい話です。
ただ、盛り上がりまくっていてやばい! と、
手放しで喜べるほど簡単な状態じゃないのがボカロシーンの難しさ。
ボカロファンであるほど色々思うところがあるかとは思いますが、特筆するならば、ボカロPの非ボカロシーンへの流出が挙げられます。
マジカルミライのテーマソングを依頼されるも、
「後は誰かが勝手にどうぞ」と強烈な歌詞を残して一般アーティストになったハチ=米津玄師、
そして、n-bunaはヨルシカとして、wowakaはヒトリエとして……、
他にも何人ものボカロPが、活躍の場をボカロシーンから非ボカロシーンへと移して去っていきました。
『踏み台の手段の曲も 人と共存する曲も ボーカロイドのうた』
(10年後のボーカロイドのうた / ピノキオピー)
初音ミクの曲が「踏み台」だった人は、もうボカロシーンに戻ってくることはないでしょう。
それはひとえに、初音ミクを作り上げる人材の消失、
つまりは初音ミクの(一部の)消失を意味します。
マジカルなミライに向けて
もちろん、有名になってもなお、初音ミクの音楽を作り続けてくれている人はたくさんいます。(DECO*27さんとか)
ことボーカロイド文化の繁栄という点では、その人たちには感謝してもしきれません。
本当にありがとうございます。
もちろんイラストを描いてくれる絵師さんや、初音ミクとコラボしてくれる企業やサービスなど、関わってくれる全員に感謝ですが、
やっぱりボーカロイドという特性上、
初音ミクの根幹には曲があってこそと思いますので。
そして。
ボカロ黎明期に比べプロアマ格差が拡大した昨今。
メジャーデビューしたPの予算付きまくりの美麗PVや、
完璧なマスタリングのサウンドに囲まれても腐らず、
自分の作りたい曲を作り続けるアマチュアPの皆様。
本当にありがとうございます。
皆さんが初音ミクに希望を感じ、曲を作ってくれることが、
今のボカロシーンの維持に貢献してくれています。
ボーカルすらいないDTM初心者に、
「曲作りができる」という希望を与えるのがボーカロイド。
そんなボカロシーンにプロしかいなくなったら、
それこそボカロ文化の退廃です。
クリプトン側もそれを分かっているからこそ、
毎年楽曲コンテストを企画し、アマチュアにも日の目を見られるよう配慮してくれているのでしょう。
どうかこれからも、初音ミクのため、
曲を作り続けてください。
まとめ
このコロナ禍、第3波の中でマジカルミライを開催したこと、
特にファン以外からは賛否両論あったかと思います。
ただ、そんな中で開催したからこそ、
初音ミク文化に対する主催者側の熱意・決意が、これまでになく強く伝わってきました。
とはいえ、自分のようなただのファンには、グッズをいっぱい買ったりするぐらいしか応援するすべはありませんが…(笑)
ひとまず、2021年の開催も決定したし、来年に向けてまた盛り上げていきましょう!
次は大声でコールがしたい!!!
おわり。
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