見出し画像

さすがだなって思った話と自己肯定の話

3日前に喫茶店に行って帰ってからひどい状態だった。ほぼ寝たきり。

一昨日は朝からひどい状態で、ちょっとしたことを頼まれただけなのにできずにひどく落ち込み、一人の状態であまりないヒステリックを起こして奥さんに「もうだめだ。消えたい。」というような内容の長文をLINEで送ってしまい、そのことに対してまた勝手に落ち込んで号泣し寝っ転がりいつのまにか眠ってしまっていた。

おきたあと少し冷静になったものの体が動かず、ずっと寝ていた。奥さんからはスヌーピーのLINEスタンプが送られてきて、さすがだなと思った。そのままなにかYoutubeで動画をかけていたものの何をかけたかも覚えていない。奥さんが帰ってきたものの食事を作る気力も食べる気力もなく、奥さんが自分でごはんを作って食べてくれた。奥さんが帰ってくるとやはりおちつき、一緒になにかアニメを観た気がする。

昨日は一昨日ほどは悪くなかったためできればでかけたかったが、奥さんに「でかけても体調悪くなるだろうし寝てたら?」といわれ寝ていた。さすがだなと思った。昼に冷凍のたこやきをたべた。夜にはまた作る気力がなく、奥さんにまた自炊してもらった。申し訳なかった。夜中に少し食べられそうだったので、コンビニに連れて行ってもらい蒙古タンメン中本の豆腐スープを食べた。辛すぎて口が死んだ。久しぶりに熟睡してみようと思い、眠剤と寝るときに飲む抗うつ剤を一緒に服用し、気絶するように寝た。

そして今日。起きたら11時近く。奥さんがでかけたことすら気づかなかった。落ち込んだ感じはなく、どちらかというと眠剤が残っている感じの強い眠気があったが、シャワーを浴び出かけた。が、やはりでかけると調子が悪くなる。強くはないけどぼやーっと落ち込んできた。

自己肯定

何日か前に奥さんに「自己肯定」を勧められた。朝起きたら自分を褒めることを考えなさい、と。そのときに自分を肯定することを考えたけど、自分を肯定することができなかった。前にも自分で挑んだことはあったが、そのときにもできなかった。自分を褒める、ということがよくわからない。

もしかしたら根本的なところで強いコンプレックスがあり自分が嫌いということがあるのかもしれないがそれはとりあえずおいておいて、褒めるということを考えてみた。自分なりの解釈での褒めるという行為は、自分を基準にすごいと思ったことを評価する行為だと思っている。だから自分を基準に自分を評価すると何をしても「普通」になってしまっているんだろうな、という考えにたどり着いた。

とかという風にごちゃごちゃ考えているからだめだと思うんだけど、とにかく自分を褒めるということは難しい、と奥さんに伝えた。すると、「じゃあ自分を否定しないことをしてみたら?」と言われた。最近、「だめだ」とばっかり言ってるからだ。これも、少なくともいまの自分にとっては難しい。おそらく視野がせまくなっていて、自分を否定することにしか目をむけることができなくなっているからだ。これはもとからなのか、病気のせいなのかはわからない。

と伝えると、「じゃあ、『まぁいいか』というしてみたら?」と言われた。そのときはよくわからなかったし、いまもよくわかっていない。つまり、今の状態を受け入れるということなんだろう。そのときは「よくわからない」と言ってしまったけど、これがいままでの中で一番簡単のように感じた。否定しそうになったら、「まぁいいか」と小さく口ずさんで見る。たぶん、これもまた一種の自己肯定なんだろうな。ちょっと試してみることにする。さすがだなと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?