【映画感想文】タクシードライバー 「Anytime, anywhere.」「いつでも、どこでも」【※ネタバレあり】
おはようございます。
宇田でございます。
タクシードライバー(監督:マーティン・スコセッシ 主演:ロバート・デ・ニーロ 公開:1976年)のレビュー記事を投稿いたします。
鑑賞日は2023年春頃で、鑑賞方法はU-NEXT。後述の通り、私の人生のバイブルとなった作品です。名画座のスクリーンでも観ました。
以下、Filmarks投稿文より転記。
アイリスとの会話、終盤の銃撃戦、鏡のアドリブ等が有名だが、トラヴィスがモヒカン怪人になるまでの過程や、要所要所で入る細やかな心理描写も秀逸だ。
「頭痛が酷くなった。胃がんかもしれない」なんて言い回しが、彼にはよく似合う。
さて、全体を通して味が濃い本作だが、私が特に気に入っているのは、ベッツィとトラヴィスの絡みである。
街で出会った美しき才女に見惚れたトラヴィスは、意を決して彼女の職場に乗り込む。そして、そのミューズを連れ出すことに成功する。このときの、少々強引な口説き方に憧れる男は少なくない筈だ。
そうだ。選挙事務所のトムについても触れよう。言うまでもなくモブの彼だが、キャラクター単体で見ると、仕事が出来てジョークも言えて、不審者にも進んで立ち向かうような優男。不遇な扱いと冴えない見た目も相俟って、俗に言ういい人止まりとなってしまいそうな彼も、自立した女性にはそこそこ気に入られるんじゃないかというのが、個人的な分析の結果。それが証に、ベッツィは彼を高く評価している。
「仲間の彼は大いに問題がある」と言うトラヴィスは、もしかしたらトムを脅威と認識していたのかもしれない。生半可な口説き文句をぶつければ、ベッツィはトムの方に靡いてしまうのではないかと。
喫茶店のシーンで、「整理頓整と書いた紙を〜」「〜感がえろって張り紙と同じね」という洒落た会話が繰り広げられるが、字幕では整理化と合理化がどうのこうのと、全く違う会話になっている。クールを装うトラヴィスより、ベッツィの方が一枚上手だと印象づける為のシーンだろうから、その点でしっくりくるのは前者の表現かと思う。ちなみに吹き替え版では前者が採用されており、宮内敦士が好演した。
先述の件から、役者の実年齢は関係なしに、26歳のトラヴィスに対してベッツィは同年齢か少し年上ではないかと推測する。年上で華がある女性に、馴れ馴れしく話しかけるおかしな男という構図であった方が、個人的には面白い。
ウィザードとのシーンも良い。自分を見失いかけているトラヴィスが、どこか楽観的な人生の先輩に助言を求めるのだが、これが実に彼らしくない。尤も、このとき既に狂い始めているのだから、当然と言えば当然。
唯一具体的だった助言が「女を抱け」なのも面白い。ただ、他の抽象的な話にしても、案外本質を捉えているのでは?と。中年の深みがあるウィザードが言うから、そう思えるのだろうか。
トラヴィスが同僚集団の輪にどうにか食い込めているのは、実はウィザードのおかげかもしれない。
ラストについての考察はいろいろあるが、ここでは映像通り素直に捉えるとして、ベッツィとトラヴィスで締めくくるセンスがやはり素晴らしい。かの有名なバックミラー二度見問題についても、彼女の存在がなければ全く違う印章を受けていたことだろう。
かくの通り、本作は実に秀逸な作品であり、何よりも見応えのある傑作であると、私は高く評価する。間違いなく、大きな影響を受けた映画のひとつだ。