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父と母

最近ふと醜い感情が湧くことがあった。
その多くは嫉妬や妬み、羨ましいという気持ち。
その根底にあるのは結局男なんてちょっとおバカな可愛げのある女が好きなんでしょという気持ち。
随分上から目線だ。
おバカというのは頭が悪いというわけではなく、バカになりきれる、振り切れるという意味だ。
その奥の奥でただ愛されたいという気持ちがあることもわかった。

自分にはないものを持った人が愛されているという勘違いがそうさせている。
可愛げのない馬鹿な自分を私自身が愛しきれてないから。
この馬鹿は頭の悪いバカ。

愛されるってなんだろう。
自分が愛していれば十分に幸せなはずなのに、どこか満たされていない。
人に満たしてもらおうとするから満たされないのに。
いつもそこに戻ってしまう自分がいる。
自分で自分を幸せにしていればなんの問題もないはずなのに、なぜだろうと考える。

おそらく母の影響が大きいのだろう。
母に想いを馳せてみる。
娘から見ても母は父に愛されているようには見えなかった。
もしかすると二人にしかわからない形で想い合っているのかもしれないが、私にはそう見えない。

父が浮気した時、母は別れる選択をしなかった。
なぜ別れなかったのか後に聞いてみたら、その時は一人で生きる力が自分にはなかったからと言っていた。大きくはお金の問題だ。
伯母たちに頼ることもできたはずなのに、その選択肢は母にはなかったようだ。
父も母も人に頼ることが下手だ。

母がすごいなと思ったのは、浮気相手に会いに行ったこと。
父の兄のところに行って事情を話し、父に謝らせたこと。
結果別れずに夫婦生活を続けるという選択をしたけど、ずっと苦しんでいた。
母なりに父を愛していたのかな。

父は自分が浮気したことを悪びれる素振りもなかった。おそらく本気だったのだ。
でも彼女には父との未来は見えていなかったようだ。
傍目に見ても父はウキウキしていた。
母が気付かないわけがない。

兄の前で謝ることも、彼女との関係を断ち切られたことも父にとってはプライドを傷つけられる行為だったのかもしれない。

物心ついた時から二人は良く言い合っていた。
大体は父が論破して終わる。
時に出ていけという言葉も何度も聞いた。
喧嘩しても母は食事を作り続ける人だった。
ずっと自分を見てくれない父の側しか自分が生きる道はないとただ受け入れて過ごしてきたのだろう。
しんどくないのだろうか。
母は決して強い人ではない。
それでも真面目に家族のためを思って一生懸命に生きてきた人だ。
可愛らしい部分も持っている。
でも父はそんな部分を見ようとしていない。

なんだか書いてて虚しくなってきた。
母の孤独を感じて涙が出る。私も同じだ。
父から愛されない寂しさを子どもたちへの期待に変えて生きてきた人だ。
その期待に応えられない娘を見るのは辛いだろう。
だって子どもの出来が唯一自分を認めてもらえる証だから。 
ただただごめんとしか言えない。
母の理想の娘を演じることすらもうできない。
書いていて気付いたけど、父が母に浴びせた言葉も私の中に染み込んでいる。
父の言葉の洗脳の方が深いのかもしれない。

自分が愛した人に愛されていないと感じると虚しさが押し寄せて生きる意味を見失いそうになるのはそんな二人を見てきたからなのかな。

だから今は自分が自分を好きになるように、自分のしたいことやりたいことをできる限り満たすようにしている。
誰かの許可がなくても、周りからなんと言われても自分自身が自分を認められるように。
それでもなお、寂しさに押しつぶされそうになる時はどうしてもある。

書いたことで少しは癒されただろうか。
頑張りすぎない日を意識的に作ろう。
たとえ1人になっても私が私だけは私の味方でいよう。

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