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ウンゲツィーファと劇場の火花

ウンゲツィーファ(ex. 栗☆兎ズ)という劇団の舞台を初めて観たときの記録。後日、又吉は本橋の自宅アパートで再演された『動く物』を観劇した。

今年の岸田國士戯曲賞は神里雄大と福原充則に。かつて神里の『隣人ジミーの不在』という作品で台本協力をした際、私は彼に本気でこの賞を獲ってほしいと願ったが、力及ばなかった。あれから6年、神里は長い旅の途中で自然とそこに辿り着いた。感慨深い。

岸田賞授賞式と同日、真裏で佐藤佐吉演劇祭の授賞式も行われていた。北区に貢献した名士の名を冠するこの演劇祭、今年は約30の演目が上演され、11もの賞が授与された。私は4演目を観ただけだが、王子スタジオで上演されたウンゲツィーファの『転職生』という作品が断トツだった。ここ数年間の小劇場演劇でもピカイチと断言したい欲望にすら駆られる。が、本作は何ひとつ賞にかすらなかった。そのからっきし振るわない感じも潔いと思った。作・演出の本橋龍には、当日裏番組の賞のほうが、きっと似つかわしい。 

昨年3月、ウンゲツィーファを初めて観劇した。まだ当時は「栗☆兎ズ」という名義だった。開演3分でその非凡さに気づく。ドニ・ラヴァンをデフォルメ化したルックスの俳優・黒澤多生が、暗闇で積み木を崩す。神経質なノイズに演出が行き届いていた。「このまま完璧であってくれ……」祈るような気持ちで終演まで見守る。やりやァがった。思わず故・立川談志を真似て、漏らしてしまったほどだ。

『蛇の足がき』というタイトルで、ある劇団の内幕を描く作品だった。作・演出の男性役を、実際の作・演出である本橋自身が演じた。別のある男が意中の女性に告白しフラれるシーンには、本橋の実体験が反映されていたらしい。劇中公演の評判がよく、銀杏BOYZの峯田和伸も観劇してくれるはずの日、俳優の寝坊により公演は中止となる。作・演出役の本橋は、壁に頭を打ちつけ、絶叫する。

「何してくれてんだよ! 今日で俺の人生は変わるはずだったのに!」 

こんな芝居、どう考えても(悪い意味で)ヤバさしかない。だが、繊細な音響、ポップな舞台美術、冷徹な観察眼に裏打ちされたユーモアで、エンタメとしても成立している。劇中公演が評判となったのはあるライターの絶賛がきっかけ、という設定だったので、私はそれを現実世界においても実行した。

同時期、又吉直樹の『劇場』を読み、主人公の劇作家・永田について、「この男を知っている」と思った。むろん本橋のことだ。才能をめぐる焦燥、劇団という社会性、恋人への執着、愛憎にまみれた自画像――。小説の最後、永田が別れた恋人・沙希を相手に自宅で繰り広げるアクションは、まさしく『蛇の足がき』だった。必死に足がくが、もはやその足ももがれてしまっていた。私は、『劇場』のその後を妄想する。永田は演劇を続けるだろうか?

本橋は『蛇の足がき』のあと、演劇から足を洗うことを考えたらしい。だがユニット名を改名し、再始動する。「ウンゲツィーファ」とはカフカの『変身』でグレゴール・ザムザが変身してしまう生き物を指す単語である。

昨年9月、ウンゲツィーファとしての初公演『動く物』を観た。過去作のリメイクだ。男女の二人芝居。公演会場は本橋の自宅だった。同棲する男女の休日、気怠い朝、動物園の約束、ペットの脱走、堕胎を知らされる男。ベッド上に二人並び、ワイドテレビに映る動物の檻に向かって、餌を投げる場面が秀逸だった。私の観劇回、観客は5人。つがいの「人間」を眺めながら、私たちもまた、地続きで檻の中にいた。

今年4月、本橋を誘い、舞台版『火花』(『火花 〜Ghost of the Novelist〜』)を紀伊國屋ホールで観劇した。

冒頭、又吉が原作者役として登場し、本人を演じるという設定を何度も確認してみせた。続いて登場した観月ありさも本人役だ。観月は小説家になりたいと告白し、『火花』を実は自分が書いたことにしてほしいと又吉に頼み込む。観月が『火花』を朗読することで、舞台は進行していく。

主人公の漫才師・徳永を俳優の植田圭輔が、その師匠・神谷をNON STYLEの石田明が演じる。徳永の相方・山下はドラマ版でも好演した井下好井の好井まさおが、神谷の相方・大林は俳優の宮下雄也が演じる。皆、若手芸人ではあるがまだ何者でもない、というモラトリアムと焦燥が交錯する空気を上手くまとっていた。特にMー1王者の石田は、無冠の漫才師ともいえる神谷のストイックさと含羞を見事に引き出していた。

又吉と観月のメタ視点が、冒頭以外にも随所に差し込まれる。観月は劇中の女性たちも演じる。『火花』を書くリアリティを獲得するためのアリバイだと言うが、役を自在に出入りする観月は、すでに女優そのものである。原作者を演じる又吉も、その演技性を強調すればするほど、俳優を見守る舞台上の創造者に見える。

皆、何者かになろうと足がき、どうあれ、でも何者かではある。その両者の〈距離〉を幾度も可視化することで、この舞台は原作の核を炙り出す。原作以上ですらあったのが、スパークスの解散漫才だ。徳永は思ったことと反対の言葉を客席に吐き捨てる。

「この十年間、ほんまに楽しくなかったわ! 世界で俺が一番不幸やわ!」

観客はリアルではないと知りつつ、演じられた嘘を通じて、ある男の真実に触れる。

終演後、本橋が又吉と面会した。

 「『劇場』を読み終えた瞬間、つらくて窓から放り投げようとして、気づいたらそのまま胸に抱きしめてました」

そう言うと本橋は、『動く物』の戯曲をカバンから取り出した。北海道戯曲賞の大賞受賞作として、製本されたものだ。又吉がそれを受け取った瞬間、劇場にパチッと閃光が走った。

(初出:『文學界』2018年6月号)


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