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ダウンタウン以降の自覚

開場前から末広通りにかなり長い行列ができていた。深夜寄席ではまれに見る光景だが、普段よりも客層が若い。

若さはニオイにも現れていた。左右の桟敷席には靴を脱いで上がるのだが、投げ出された足やスニーカーが臭うのだ。不快かといえばそうでもなく、蒸れた熱気により、立ち見までぎっしりと埋まった新宿末廣亭がライブハウスのようにさえ感じられる。

会の名は「五派で深夜」。通常の深夜寄席と異なるのは、普段は寄席に出られない立川流と円楽一門の若手も出演するという点にある。

2015年、ゴールデンウィークまっただなかの5月1日。この夜の出演者は、立川流から立川吉笑、円楽一門から三遊亭鳳笑、落語協会から初音家左吉、落語芸術協会から神田松之丞(現・伯山)、さらに上方から元・世界のナベアツこと桂三度である。

ダウンタウン以降の落語家として……いや、そもそも「ダウンタウン以降の芸能者である」という自己認識を持つ落語家がどれだけいるのかも怪しいところだが、少なくともその宿命を自覚的に背負い、現在のお笑いの革新性や実験性を理解した上で、落語をリブートさせようとしている吉笑が、ダウンタウン一派といっても過言ではない三度との競演を意識しないわけがなく、どんな噺をぶつけてくるのかをまずは見たかった。

もう一人、講談の神田松之丞にも注目していた。少し前から、松之丞見るべしの声をよく聞いていたからだ。そんな吉笑と松之丞を向こうに回して、三度がどのような高座を務めるのかも、もちろん気になるところだ。

ざわついた空気のなか、一番手、座布団を自分で用意しての鳳笑が、今宵がこの会の動員記録を更新する客入りになったことを告げる。ネタは『猫と金魚』。

なぜか鳳笑が引っ込んでから、高座にマイクがセッティングされる。そんな混乱もあいまってライブ感は加速するなか、二番手で吉笑が登場するなりぼやいた。

「やっぱり寄席は、立川流と円楽一門には厳しいですねえ」

初めて起こった爆笑に、会場の歯車が嚙み合い、ぎりぎりと回り出す音が聞こえた。

吉笑が掛けたネタは『舌打たず』。

八っつぁんがご隠居を訪ねる。

「どうも! いますか?」
「おや、八っつぁんかい。まあ、お上がりよ」

古典落語の『道灌』と同じ導入だ。しかし、「こんちわ!」の前に「チッ」と舌打ちが入る。初見の客には聞き苦しいノイズに思えたかもしれない。ただ、この舌打ちが意図的なものであるとわかるにつれ、舌打ちの量と比例して、客席の笑いも大きくなる。

一見、古典のように見せかけた擬古典の手法が効いている。『舌打たず』は「舌打ち」と「感情」の相関関係をめぐるロジカルなネタだが、設定を現代に置き換えたり、いまっぽいフレーズを挿入するような安易な新しさではなく、脈々と受け継がれてきた落語の内包する過激さを、あくまで古典風を装いながら、増幅させているのだ。

しかし、この日のテンポはいつも以上に速かった。

若手の人気お笑いコンビ・うしろシティのライブにゲスト出演した吉笑が、やはり『舌打たず』で若い女性中心のお笑いファンを摑む現場を目撃したことがある。そのときも速かった。普段の落語がロックンロールなら、あのテンポはパンクロック。90年代に立川志らくが若者ファンを摑んだ『火焰太鼓』のジェットコースター感を思い起こしたりもしたものだ。しかし、この夜の『舌打たず』はさらに速い。間もへったくれもない。ほとんどハードコアパンクである。それでも客席を置き去りにはしていない。ツーバスのような舌打ちが笑いのうねりを生み出していく。

左吉の『町内の若い衆』を挟み、釈台を自ら運びながら松之丞が登場。

最前列の客をいじりながら神経質そうなところを見せたかと思いきや、緊張感を一気にほどき、落差で笑いをつくった。少しの間の抜き差しだけで、自らの空間を起ち上げてしまう。

演目は『寛永宮本武蔵伝 山田真龍軒』。二刀流と鎖ガマ、その息を吞む攻防。緩急のメリハリと、型の美しさ。講談とはストーリー・テリングである、という当然のことを思い知りながら、でもそれをここまでクールにやってのける若手講談師は初めて見た。松之丞を通して講談の未来を垣間見たような錯覚すらあった。

トリで三度が高座に上がる。

じゃんけんに負けたことで、この出順になったのだという。そんな偶然にすら、運命を感じる。この流れでどんな噺をぶつけてくるのか。

『寿限無』だ。

シビレた。基本中の基本とも言える前座噺だが、それゆえ聴かせる難しさもあるこのネタに、ミスチル風の節回しや、ビデオの早送りといった放送作家的な発想を加え、確実に客席を仕留めてみせる。

三度は吉笑の存在を知っていた。深夜番組の大喜利企画における吉笑の回答を見て、その落語家離れした発想が気になっていたという。

談志が「伝統を現代に」と掲げたのが50年前。むしろいま、お笑いの最先端から落語へと触手が伸びている。

今年、吉笑はある音楽フェスに開口一番として出演し、両国国技館で高座を務めたが、すでに昨年、千原ジュニアは同じ両国のステージに360度回転する高座を設置し、新作落語を披露している。とはいえジュニアの落語は、コントと比べると、伝統がまだ演出の制限となっているように見えてしまってはいたが。

座布団に座るからこその「自由」があるはずなのだ。

伝統を現代に――。ダウンタウン以降の落語家、吉笑はいま、そのことを改めて考えようとしている。

(拙著『伝統芸能の革命児たち』より)


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