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先の人生は常に余命、その使い方を真剣に考える。

ここ数年で強く思うようになったこと。

それは、
「悪口や批判、不満や愚痴のために自分の時間を使いたくないなぁ。」ということ。
それに付き合うのも嫌だな。
もちろんマイナスな感情を持っちゃいけないとは思わない。思わずムカッとくる瞬間もあるし、カチンとくる人もいる。

でもそれをずっと引きずることにエネルギーを使っている人を見ると「大変そうだなぁ。」と思う。
例え誰かに腹が立ったとして、確かに相手が悪かったとして。けど、怒りに身を任せて言葉にしてしまっては自分も同じ土俵に立つことになる。
せっかく言葉を操る能力を戴いているのに意地悪な辛く悲しい言葉ばかりを口にするのって、周り回って自分のことを傷つけているはず。
正確に言えば、自分の細胞を傷つけている。
そんなエネルギーの中に身を置いてちゃ、自分自身が不憫。もっと怒れ〜と囁きかける、思考の声から自分を助けてあげないと大変。

何年も前の、古い友人たちのグループLINEでの出来事。

総勢7人ほどのグループLINEの中で、ある2人が旦那さんへの文句で盛り上がった。
ちょっと暴走してるなぁと思いつつ俯瞰していたら、別の一人が「ごめんね、抜けるね。」とだけ言い残しグループを退会してしまった。
ちょっと遠方に住んでいるその子とは、その後は個別で連絡を取っている。

後日その子が言ったこと。
「言葉って放った瞬間から周りに影響を与えてしまうものだから、辛い気持ちになるなら抜けようと思った。」
その気持ちを最優先させた勇気。
他にも素敵エピソード満載のその彼女。
あぁ、この子とはずっと友達でいたいなと思った瞬間だった。

人のことがやたらと気になったり、
いちいち文句言いたくなったり、
はたまた許せない気持ちになる時。
それってもしかすると、自分のことを大切に扱えていないことの裏返しなんじゃないか?
何かを我慢していたり、知らず知らずのうちに自分を押さえ込んでいたり。

‥私自身も身に覚えがあるなぁ。

自分に対して素直になれたり
自分を大切にして内側が満たされた状態にあるならば、自ずと他者にも寛容になれる気がする。
我慢しない自分はとっても心地いいから、
周りの人や出来事が自分に影響を及ぼさない。
なんにもなくても気分がいいから、外側で起こることにいちいち反応しないし執着する必要がなくなる。

自分の中にどんな葛藤や怒りや不満が潜んでいるのか。それを自分で炙り出す作業ってめちゃくちゃ大事。

‥なんてことを、この数ヶ月でつくづく実感した次第。

嫌われていい人にはちゃんと嫌われればいいし、
仲良くなっちゃう人とはきっとどうしたって仲良くなっちゃう。生きたいように生きた方がいい。

児玉清さんは「50歳から努力した人は変わる」とか何とかおっしゃったとか。
努力という言葉自体はあまり好きではないけど、「50歳からが本当の意味での人生の始まり」というのは‥なんとなくわかる気がする。

きっとここら辺からが、自分の人生の総括になっていくんじゃないだろうか。

ココシャネルの有名な言葉。
20歳の顔は自然からの贈り物、
30歳はあなたの人生、
50歳はあなたの功績。

うまいなぁ。
確かに、50代から上の世代の人たちは
「人相」とか「顔相」でその人の生き様がわかる気がする。美人って形容したくなる人の価値基準が、若い頃とはまったく違うものになっていく。
内面から滲み出る人格とか、纏う空気とか。

自分の中がギスギスしていたら、いくら造作が美しくても‥なんか違う。

人にやさしく。
同じくらい自分にもやさしく。
できるだけ内側は空っぽに。
やなせ先生の言うように、一寸先は光。
人生後半のテーマ。


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