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周りで話している内容がわかる安心感

日常的に使っている「YY文字起こし」というアプリについて書いた。

私が聞こえない生活を送る上で、このアプリに助けられていることについて、何回かに分けて書いていきたい。

今回は「疎外感」のお話。


聞こえない、聞き取れないなら、聞き返せばいい。書いて貰えばいい。いや、ジェスチャーで。配慮を求めればいい。聞こえないという話をすると、さも簡単なことのようにアドバイスされることも結構多い。ただ、そこにはなかなか難しさもある。

会話といっても色々なパターンがある。

  • 1対1

  • 1対多

  • 多人数間

中でもこの多人数間での会話、いわゆる雑談のようなものが、一番配慮を求めにくい。その反面、コミュニケーションや人間関係に占めるウエイトは、大きいと思う。

多人数の場合、自分の意思とは関係なく会話がスタートしたり、他の人たちの間で、すでに会話が行われていて、その中に入っていくケースが多い。

また聞き返すにしても、ある程度は話の内容などに的を絞る必要がある。何の話をしているのかもわからない段階で、一から説明を求めることは、その場の空気感を乱す結果となるし、その場の全員が、私が聞こえないことを知っていたとしても、難しい(と今の私には感じる)。また、物理的にも全てを書いてもらうなどしてもらうのは、現実的ではない。

結果、会話に参加できず、参加すること自体も諦め、疎外感や孤独感を強く感じることになる。聞こえないということは、この疎外感や孤独感が結構辛い。だが、文字起こしアプリを使うことで、これを相当解消することが出来ている。


わかりやすく、家庭内でのコミュニケーションにおいての例を挙げる。

自宅で家族と過ごしている時は、リビングのテーブルにワイヤレス充電スタンドを置き(文字起こしを常用する生活になってきたので、最近買ってみた)、そこにアプリを走らせた状態でセットしている。

そうすると、自分の周りで突発的に会話が始まっても、その内容をどんどん文字にしてくれる。(もちろんもっと公共性の高い場所や、不特定多数がいる場所での利用には、相応の配慮が必要である)

内容がわかれば相槌を打ったり、会話に積極的に参加してみたいという気持ちになれる。もし断片的なワードしかわからなくても、それこそ聞き返すことができる。

また、参加したくなければ、“聞き流す”ことだって出来たりする(これは聴こえているとなかなかわかりにくい感覚かもしれない。周りで行われている会話の内容を、負担感なく共有できることは心理的な安心感を生む)

全く内容がわからない状態で、その場を(やり)過ごすのとは、雲泥の差がある。


1対1での会話などでは、もちろん、文字起こしアプリを使う。だがそれよりも、こうやって雑談のようなものに、今までに近い形で参加できていることが、疎外感や孤独感の低減につながっていると、とても感じる。そのおかげで、聞こえなくなっても、それほどはネガティブな気持ちを持たずに暮らせているのだと思う。

他のアプリでは、意識してマイクに向かって話さないと認識率が悪かったり、認識そのものをしてくれなかったりする。何より、このアプリの認識率の高さのおかげである。

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