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3日連続の飲み会を経て思うコト

 昨日まで、久しぶりに3日連続で飲み会だった。仕事柄飲む機会がかなり多いので、コロナ前は週3回は当然のように飲んでいたし、そんな生活にもだいぶ慣れ始めていた。

 そんな日々もコロナ禍で一変して、生活はガラッと変わった。飲み会はほとんど無いし、あっても少人数だから気が楽。なんといっても体がめちゃくちゃ楽で、毎日スカっと起きれるってサイコーだ!となっておりました。

 そんなこんなで久しぶりに3日連続飲んだわけだけど、各日いろんな気付きがあったので書いてみます。

①取引先の所長さん

 新聞販売店のおじさま方は往々にして酒を飲むことが好きで、次の日配達もあるのによく飲むな・・・という人が多い。毎日同じエリアで配達を繰り返すわけなので、遠出は全くできない。
 
 だから、お酒は唯一のストレス発散と言ってもいい。スナックとかキャバクラも好きな人が多いし、そこに何度も付き合ってきたから、僕も場慣れしてきてしまった。自費で行こうとは思わないけど、、。

 3日前に飲んだ所長さんは、間もなくお子さんが産まれる50代前半の方。結婚は遅かったけれど、若い奥さんと縁あって結ばれてお子さんを授かった。

 「年齢的に子育ては厳しいよ~」なんて話もしていたけど、言葉の端々はどこか嬉しそう。いつになっても家族を持つことは幸せなんだろう。所長は日本酒4合ぐらいを一人で飲みながら、楽しそうに話していた。一軒で終わったから僕も嬉しい(?)

②労働組合の若手飲み会

 我が新聞社というかどこの新聞社にも労働組合があって、この間は新入社員が組合に参加したタイミングでの飲み会だった。

 20代の先輩も何人か来ていて、僕もそのうちの1人。新入社員は計10人ぐらいいたけれど、来たのはその半分。先輩はもっと人数がいるけど、来た人は3割ぐらい。仕事がある人はいたけど、集まりは悪かった。
 
 まあとにかく、話すことが難しい。部署がみんな違うから仕事の話をしても、先輩の悪口を聞いても、共感できることは少ない。みんなそこまでお酒を飲むわけでもないから、盛り上がる感じもない。

 この間の若手飲み会もそんな感じだったな・・・と思いながら、いくら同世代であってもコミュニケーションの壁が高すぎる。コロナ前はある程度下世話な話をしてもみんな受け入れていたけど、この数年でハラスメントの厳しさはかなりグレードアップした。ポケモンで言えばレックウザ100レベルぐらい。

  こんな記事も書いていたけど、結構文体にトゲがあるな、3ヵ月前の自分。もはや若手同士だからという理由で「仲間意識」なんて必要ないのかもしれない。若手で飲む度にモヤモヤとした感覚が残る。

③大学時代の友だち

 これは昨日。サークルが一緒だった男1人、女1人、僕の計3人。これはマジで楽しい。定期的に飲んでいる3人だけど、会うたびに楽しい。「かれこれ出会って10年ぐらいだね」なんて話をしながら、最近誰が結婚したとか子どもができたとか、現実的な話もする。

 一方でここでは書けないような下世話中の下世話な話をゲラゲラ笑いながらできる。グラードンとカイオーガ100レベルどっちも持っているぐらいの無敵感が心地よかったりする。

 酒量も多い3人は、大体3軒目ぐらいでヘロヘロになる。帰り道なんて大体ゲラゲラしているぐらいでほとんど覚えていないし中身のある会話なんてしない。でも、それがいいのだ。

④いろんな「自分」を使い分ける

 結局、みんな飲み会の場を使い分けているのかなと思う。

 取引先との飲み会では会社員としての自分。多少のヨイショで気持ちよくなってもらい、円滑に仕事をする。

 若手同士の飲み会は、プライベートなことを話さないように壁を作りながらも、仕事の悩みを共有する。

 大学時代の友だちとは、もう壁なんてないような状態。素で何でも話す。これがまた1つの自分でもある。

 若手飲み会で大学の友だちといる時のような自分を出さない方がいいし、取引先との感じのように硬くなる必要はない。この数年で、多様性という言葉が叫ばれる中で、自分という存在をみんな使い分けられるようになってきたのかもしれない。(もともとそれが普通なのかもしれないけど)。

 元々「自分」を使い分けることが苦手な僕は、どこでも一本道なコミュニケーションを取りたくなってしまう。でも、それはもはや時代遅れなんだろう。寂しいような、なんというか。

 「自分」の心を守るには、心の核心を見せないようにしたコミュニケーションが大切なのかも。ちょっとでも自分をさらけ出してくれると、僕は嬉しいんだけどなあ。


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