食事の価値観
今日のお昼。出張前に食べようと思って適当に入った松屋。560円のランチ限定ねぎ玉牛丼セット。松屋は味噌汁が付くからいい、なんて日本人の半分が思ってそうだけど、ランチはサラダまでついていた。これで560円か、新聞をコンビニで買ったら約4部分。高いのか安いのかよくわからない比較ですみません。
ついたてを挟んで向かいの若めの女性。顔の辺りは曇りガラスになっているついたてで、表情まではわからないが、格好は会社員だった。
爪はキレイなネイル、長い髪の毛は手入れされているようだった。手元には牛丼と味噌汁。やっぱり味噌汁はいいよね。
箸と逆の手にはずっとスマホ。長文でも打っているのだろう。少し文字を打ってはひと口食べ、その繰り返し。一向に食べ終わる気配もなく、丼を持って食べないから、牛丼さんがポロポロとこぼれる。
ずーっとスマホをいじり、ついにはとっくに食べ始めていたその女性よりも早く、自分のねぎ玉牛丼はなくなっていた。目の前だからと見てしまった自分の気持ち悪さに辟易しながらも、「ああ、食事への向き合い方が自分と合うかどうかって大事だな」と思った。
3食何を食べるか毎日悩む僕は、思考がかなりのデブだ。インスタント食品はできる限り食べたくないし、美味しいものを食べて自分の1日を終えたいと常に思っている。ご飯を食べるときはご飯に向き合いたいし、米粒はひと粒も残したくない。なんとかランニングをしまくって維持している体型は、いつかは激太りするだろう。
その女性が悪いという話でもない。自分が連ドラを見ないように、その女性は食よりも大切な人とのLINEを楽しんでいる。
これが価値観なのだ。合わなければ無理に合わせなくてもいい。合う人を探せばよい。それが友人であり恋人であり、パートナーになる。
今の世の中、自分の価値観をあまりにも押し付けすぎじゃないだろうか。合わなければ離れればいいのに、合わない人間を袋叩きにする。同調を求め、その人個人を攻撃する。
仕事なりなんなりで、すり合わせる必要があるのなら、対話するしかない。ビジネスライクだ。働くのだ。ただ、合わない人間に対して、自分を捨ててまで、合わせる必要があるんだろうか。そして自分の価値観を強要する必要があるんだろうか。
まあまず、他人を観察してnoteに書き記すなんて自分は気持ち悪い。仮に実名で所属も明らかにしてそんなことをしている人がいたら、ちょっと引く。でも、書き記すかどうかは個人の自由なんだ。気持ち悪いと思う人は見なくていい。「気持ち悪いんだよ!やめろよ!」なんて強要しないでください。自分でよくわかっています。
きっと、他人に変容を求める人はおせっかい気質なのだろう。悪気はないはず。でも、いいんです。見ず知らずの人に何か言われても怖いだけです。私は自分で生きます。信頼してください。
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