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振り子の外側

しょうもない言葉遊びよりも、最近は心にうつりゆくよしなしことを書きたいがために書いている62日目。
今日も読んでくださっている稀有な方々、ありがとうございます。

子どもたちと授業をしていくときに
「話し合う前には立場を決めることが必要だ」
っていうのは、ある程度鉄則だと感じています。
もちろん意見が浮かばないから人の考えを受けて、そこを基にして考えていくっていうこともあります。
ただ、より深く自分の考えを追究したり、これまでの考えと比較して思考したりする場合には、やはり意見をもつということが欠かせないのではないでしょうか。

で、ここまでの話に納得してない人は、まあそれはそれでいいんですが、納得してくれている人も
どうしてか自分が教育の話をするときになると、

自分の立場は決めずにオールオッケーで話すことが多いように感じています。
そりゃあ正解のない教育のことなので、自分が自信をもって主張していることもある立場からしたら違っているということもあります。
でもそれは違っているだけで、間違っているわけではないですよね。

授業の話し合いと同じように、大人が教育談義するときにも、この立場を明確に示しておくことが結構重要なことだと思っています。

そうしたそれぞれの大切にしたい文脈があるからこそ、共通の授業を見たり共有の本を読んだりしたときに、自分の知らなかった世界や、光の当てていなかった世界を広げていけるような気がしています。
今日は朝の時間に、そんな話をする機会がありました。主義という言葉にまとめてしまうと、その旗を掲げていくことがどこか仰々しく見えてしまうかもしれません。
ただ旗のないとこでいくら寄り合っていても、それは寄り合いであって、何かが生まれる可能性も低いのではないかと感じています。

良い悪いといった立場ではなく、自分が大事にしたいことを真ん中におきながら、そしてダブルループ的にその大事にしたいことについても振り返りながら、これからもたくさん話を重ねていきたいなと思いました。

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