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今年の読書録① 「怒りの葡萄」

昨年はステイ・ホーム期間中から「アンナ・カレーニナ」を一気読みし、続いて「戦争と平和」も緊急事態宣言あけの通勤電車の中で読了した。

図らずも一人トルストイ・イヤーとなった2020年であったが、どちらも面白かったな! 読書の覚書はブログにつづっているので、ご興味のある方はのぞいてみてください。(過去ブログ「100日後に読了するトルストイ」https://blog.goo.ne.jp/taka-ki もう更新はしません。念のため)

その勢いはとどまることを知らず、今年も世界の古典文学をもとめ、会社帰りに横浜駅構内の有隣堂の、新潮文庫の海外作家コーナーにて、前から気になっていたスタインベック「怒りの葡萄」をずばっと購入。

この長編について語る前に、まず20年以上前に読んだスタインベックの短編集の話をしたい。

もしかして、同じようなご記憶をお持ちの方がおられたらうれしいのだが、その時に読んだ翻訳が素晴らしくて、現在書店に並んでいる改訂版がどうにも物足りないのだ。

順を追って話すと、20数年前、習慣となっていた図書館通いの気まぐれに手に取ったのが前述の改定前の短編集。

これといって大きな盛り上がりもない話でありながら、妙に味わいのある一作目から引き込まれ、どれも描写が冴えまくっていて面白く読めた。

この時の印象が強く残っていて、ずっと後年、また読み返したいと思い、その時は別の町に引っ越していたので、その町の図書館で探してみた。するとやはり新潮文庫、表紙もこげ茶っぽい、記憶に近いものがすぐ見つかった。これこれ、と思いながら借りて読んだのだが、なんだかおかしい。どうにも面白くない。

あれ、翻訳が変わっている? と気づき、ページを繰って「熊」というタイトルの短篇の、ある印象的なせりふを調べた。一発で判明した。翻訳が違う。まったく、違う。

そのせりふとは。

スタインベックのファンだったら、ピンと来るはずだ。

「熊」に出てくる知恵遅れの登場人物が、酒を恵んでもらおうと酒場でいうせりふ。

「ウェスケ?」

これである。新たに手にした文庫本では、

「ウィスキーを」

と、味もそっけも、含蓄も深みも感じられない、つまり面白くもなんともない翻訳になっているのである。

まったく根拠はないが、これは同じ訳者による改定ではなく、別人の翻訳だと思う。「ウェスケ?」という絶妙なせりふは、これもまったくの想像だが、本文の音をそのまま記したのだと思う。説明不足のようだが、この人物がウィスキーをねだっていることはまともな読者ならじゅうぶん伝わるし、この人物の知恵の足りないことのこの上ない描写としても成立しているのである。

もっと言えば、このせりふはこの短篇の最大のキモでもある。同じ人間が、改定のおりにこれを無味乾燥な「ウィスキーを」なんて改めるなんて考えられない。

「熊」に限らない。女性が主人公の最初の作品も、まったく面白くなくなっているし、やはりタイトルも思い出せないが、先住民族(だったと思う)がつまらぬいさかいから人を殺してしまい、荒涼たる大地を逃げるというだけの話も、旧版では「この作者は実際に人を殺して逃げたことがあるのではないか」といぶかしんだほどの迫力だったのに、ちっとも胸に迫ってこないのである。

まあ、こういうのは好みの問題なので、悪口ばっかり言ってもしかたないのでやめるが、昔の翻訳があったらぜひ手元に置きたいとは長年思い続けている。

小説の翻訳は、それだけで面白いものが面白くなくなってしまうほど重要なものだ。わたしのような外国語の読めない多くの読者にとって、だから翻訳者というだけでありがたいものだが、とりわけ、自分の日本語感覚にぴったりくる優れた翻訳に出合えることは、無上の喜びである。

「怒りの葡萄」は、次回。



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