高校時代の作文を活字にしてみた

こんにちは。
ドラマ『silent』では、「高校時代に書いた作文」がキーアイテムの一つになっていました。そこで、私も高校時代の作文を探してみました。
これは、小論文の練習用として先生が持ってきてくれた大学入試の過去問です。なお、課題文として随筆が提示され、それを踏まえて、随筆の主題に対する自分の意見を書いていく形式でした。

山口大学後期入試・過去問

実施日:2015年2月28日/所要時間:2時間28分

 地元という狭い社会に根づいた文化が、日本全国や海外など外へ外へと広まれば、多くの人の目に触れることとなる。地元ならば、人々の価値観を統一することも難しくない。しかし、広い社会の沢山の人々を考えた時、人間の価値観はそれぞれである。地元社会においてはただ一つ不変のものであったその文化の価値も、広い社会においては様々に変化する。そうして、「評価」という形で、多数の人々によって文化の価値が書きかえられていく。そこに、地元の人々が抱いていた元々の価値と、世間が「評価」する価値との差異が生じる。設問の随筆は、そのギャップに対して地元の人間が感じた違和感について書かれている。

 しかし、この価値観の差異を埋めることはできない。また、差異が生じるのを避けることもできない。なぜなら、人間の価値尺度は個人によって異なるからだ。では、地元の人は違和感を抱き続けるしかないのだろうか。

 この違和感について、近年、全国的な人気球団の一つとなった、プロ野球の広島東洋カープを例に挙げる。関東だろうが東北だろうが、多くのファンが詰めかけてチームを応援する。かつて複数回の優勝を成し遂げた時期も、このような事態は起きていたのだが、今は、そのファン層に、変化が起きている。

 かつての広島ファンは、その多くが広島出身であるとか、広島県に縁があるとか、そういった「広島関係者」が多かった。しかし今では、「東京生まれ東京育ちの広島ファン」などというのも珍しくないという。

 では、なぜ彼らはカープファンなのか。カープは設立以来、市民と一体となった球団であった。市民の募金を運営費に充てたこともある。その「貧乏くささ」が、広島に縁もゆかりもない人々をひきつける一つの要因と言われている。広島県民としては、そこに違和感を覚えるのである。

 確かにカープは、他球団の有力選手に大金を積むということを好まない。その姿勢がフェアだと評価され、魅力の一つだとされる。しかし広島県民は、単純に、強い広島球団を望んでいる。そこにはフェアだとか、貧乏だとかという発想はない。そういう意味で、地元と他県には、ギャップがあると言える。

 これらの差異は、文化が広まる上で不可避だ。だからこそ、地元は、その違和感を強く訴えるべきである。そうすることで、社会は文化の価値にもっと思慮深くなるだろう。

(文字数:947文字)


この文章を振り返っていて思い出したのは、これを提出したとき、先生が笑顔で「すごいね!この発想はなかったよ!」と言ってくれたことです(もちろん、そのうえでたくさんの赤ペンを入れてくださいました)。
このとき先生が褒めてくださったことで、少なくとも私は文章を書くことに苦手意識を持つことはありませんでした。その後、大学生になった私はブログを書き始めるのですが、あのときの先生の言葉と表情は、間違いなく私の自信に繋がっていたと思います。この時以外ほとんど接点のない先生でしたが、恩師ですね。
こういった教員が増えてほしいものです。

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