![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/20633224/rectangle_large_type_2_ffd3260ab072115ab61ddaaf562073eb.png?width=800)
サッカーを通じて子どもたちに”頑張りかた”を教えるにはどうしたら良いか。
Buonasera〜
イタリア語でこんばんは。夕方以降に使う挨拶です。
お昼過ぎに近所の小学校を通りがかったら、校庭開放しているのか、結構大勢の児童が集って、ボール遊びやら鬼ごっこに、駆け回っていました。親としても、一日中家に留守番させておくよりは、体動かしてお腹すかせてたくさん夕飯を食べてもらって、しっかり寝てもらうというのが、ストレスなく過ごせて良いという判断なのかもしれないですね。
社会の不安をよそに元気いっぱい駆け回る子供たちの姿は微笑ましい一方で、申し訳ないなという気持ちも心を撫でました。
今月頭の休校措置に合わせ、うちのチームのサッカーの練習も暫くの間お休みに入りました。この状況なので仕方ない、と割り切っていたのですが、やはり子供たちは外で動きたくて仕方ないものですよね。こんな時だからこそ、子供たちには不安を吹き飛ばすほどサッカーボールを一生懸命追いかけさせてあげたいと、そんな気持ちも抱きます。大人が悪いとは言いませんが、小学生の子供たちが割を食うのはなんだかなあと、すっきりしない次第です。
さて、この記事の題名。子どもたちに”頑張り方”を教えるにはどうしたら良いか。頑張ることに焦点を当ててみました。よく言いますよね、頑張れ、頑張りましょう、など。親御さんからの声援でも耳にするランキング第一位です。
要するに、頑張るって何? ということです。
このお休み期間中、子どもたちに直接指導することはできませんし、基本的にはむやみに人と会わず家でずっと過ごすしかない子も多いかなと思います。そこで、保護者の皆様あてに、個人でできそうなサッカーの練習動画を紹介し、それをこどもたちに見てもらい、こんなの自主練してみようよ~とはたらきかけています。あくまで自主練ですし、宿題でもありません。子どもたちの意欲に委ねられるところです。親御さんの介入が入る場合もあるかもしれませんが。
この子どもたちを3チームに分類してみます。
Aチーム...コーチ、親から言われずともすでに自主練を開始していたチーム
Bチーム...はたらきかけを受けて、自主練を始めたチーム
Cチーム...一人でサッカーなんか、いい、やらない!チーム
どのチームの子がよくてどれがダメ、というのはありません。みんながプロを目指すわけではないですし、一人一人の心の中に、サッカーというものの位置づけがあって、それぞれの世界がありますから。ただ、Cチームの彼らにとってサッカーはそれほど心惹かれるものではないようです。きっとほかに興味関心を抱くものがあるのでしょうか。それは素晴らしいことですね。私が十分にサッカーの魅力を伝えきれていないのかもしれないので、そこは猛省します。
ここでは、AチームとBチームに分類した彼らについて話していきます。自主練をする子たちですね。お父さんお母さんは、外から土に汚れたボールを抱え帰ってきた子どもに、お帰りなさい、頑張ったね。そう、声をかけるだろうと思います。子どもたちが一人で何か行動を起こした、何かを達成したという意味では、とても素敵な少年少女としての一ページですし、家族や近くの大人はたくさんに褒めちぎってあげましょう。わたしも子どもたちの自主性が見られた時には、とても感心します。
ただ、幼少期といえどもひとりの人間を預かる指導者として内心思うのは、そこで”頑張った”ことにしてほしくないな、という願いです。
ほんとうに”頑張る”とはどういうことか。
ひとつは、考えること。自分はどうなりたいか、なにがほしいか。そのために何をしなきゃいけないか。その過程を踏み行動に移すことは、行動に意味を持たせるという点で大切な要素です。先ほどAチームに分けた子たちは、それがサッカーに対しては自然にできていると思います。
そしてもうひとつが、”挑戦” すること。
なにをもって挑戦とするかは人それぞれですが、子どもたちに伝えるならば、
「苦手なことにチャレンジしてみよう!」
そう声をかけると良いでしょうか。(英訳しただけやんてツッコミはなしで。笑)
子どもたちに教えたい”頑張りかた”というのはつまり、
自分の得意なことを反復して行い続けるか、できないことをできるようになるまで練習するか。
その違いです。
得意なことを伸ばすこと。それはとても大切なことで、将来仕事に就くときにことによっては武器になります。サッカー選手なんかはその最たる例です。しかし、選択肢はいくらでもあるに越したことはありません。それに、仕事だけが人生ではないです。この世界をより楽しむために、いろんな世界を知っておくことは何よりの財産です。
話が大きくなりすぎましたね。サッカーで例えます。
小学生の年代でよくみられる、試合中、ドリブルが得意な子が、ボールを持ったら相手ゴールへ向かって一直線にドリブルを開始し、奪われるまでそのまま突進する光景。
それ自体、個人的には悪いことだとは思いません。指導者がそこは注意して(ドリブルを控えさせて)あげるべきではないか、という意見もあると思います。実際、保護者の方からそういった声をいただいたこともあります。
しかし、これも一種の挑戦ですし、その子にとっては、ドリブルで人を抜いていくことが自分の手で発見したサッカーの楽しみなのかもしれません。それを我々大人が邪魔することは言語道断です。その間パスをもらえない周りの子は少々酷ですが、そんな時はコーチが助っ人として加わって、あまりボールに触れられていない子にパスを届けてあげれば良いです。
それに、ドリブルに固執している子もいつか気づく日が来ます。あれ、いくら突っ込んでいっても点とれないな、このやりかたじゃダメやん、と。その発見ができ、視点を変えてみる大切さを自分の意志による行動から理解することができたならば、それはサッカーを通して得た一つの財産になるわけです。ですから、悪いことだとは断定できないのです。
ここで考えましょう。Not bad ではなく、Very good な、もっと良い方法はないでしょうか。
それを解決するタネを、自主練から拾ってきましょう。
既にドリブルが得意な子が、コーチに与えられたメニューではなく、自分で考えて練習をするとき、何をするか。
もし、さらにドリブルを練習したとき、その子の心に生まれるのは自信でしょうか。それとも、慢心でしょうか。練習といっても、できることをやるのでは、それは自慰行為です。経験したことのある快感がほしいだけで、苦痛を伴いませんよね。楽することを選んでいます。
ドリブルではなく、キックを練習してみた、ステップを練習してみた、トラップ、ヘディング...たくさんありますね。サッカーをプレイするうえで、様々な要素がある中で、その一つに固執する理由が、どこにあるのか。その上でドリブルをするにしても、スピード、タッチ数、距離、加速減速。それらを考えながらしているか。
ほんとうに”頑張って”いる人は、できないことに”挑戦”している人だと思います。
自分はこれができていないな、これを知らないな、そう思ったら、チャンスです。できるように練習してみる、学んでみる。頑張るって、そういうことです。
親や指導者が、子供の様子を見て、あれをやれ、これをやれといって指図するのもだめだとは思いませんし、これは曖昧な表現なので嫌いな言い回しですが、一定の効果があるとは思います。
しかし、実感を基に自分の頭で考え、実行し、自らの足で新しい世界が見える所にたどり着いたとき、その景色が見えたときの快感は計り知れないものです。これは経験した人にしかわかりませんし、自主性がその根底にあります。子どもたちにはこの、未知の世界へ足を踏み入れる楽しさを知ってほしい。願わくば、サッカーを通じて。
子どもたちに、サッカーを通して教えたいこと。
サッカーがうまい選手って、どんな選手か。この問いは永遠に答えが見つからないと思います。
ただ、百歩譲って、いい選手になるヒントをあげるとするならば。
じゃんけん、誰でも知ってますね。例えば、グーしか出せない人と、グーとパーが出せる人が戦うと、どちらが勝つか。世界一手の大きな人が力一杯握ったグーと、生後間もない赤ちゃんのパー。どちらが勝つか。
つまり、勝負に勝つには、選択肢をたくさん持っているほうが有利ということです。そして適切なタイミングでその選択肢を活用する頭の良さを養うこと。サッカーはまさしく、これを瞬時に判断して実行するスポーツです。
選択肢を増やすにはどうするか。それが、苦手なことに挑戦しようということだと思うわけです。
ここからは、子を持つ保護者の方に特に読んでほしいところです。
苦手なことに自主的に挑戦する人間に子供を養うには、どう育てたらよいでしょうか。
私には、好奇心旺盛であることが、挑戦的であることに大きく関連するという考えがあります。なんにでも関心を持ち、知らないものに触れたとき、目を輝かせ、自然とそちらへ引き寄せられていく子。想像がつくかと思います。
天性のものとしてそんな性格を持った子も、そうではない子もいると思います。
いち指導者として保護者の皆さんに一つだけお願いしたいのは、子どもたちの言動から好奇心の矢印を感じ取ったとき、それを折ることなく大事に包み込んで、時には水やりをしながら、育ててあげてほしいということです。
好奇心があまり感じられない。そんなときはどうしたら良いか。
親自身が物事に好奇心を抱くことです。子は親を見てそれをまねしながら育ちます。親や家族の作る家庭、そこが子供たちの知る世界の大部分を占めるわけです。
子どものころと同じように好奇心を抱き続けている大人が日本にどれだけいるか。
あなたは、いま何か苦手なことに挑戦していますか。
知らないことに対して、知らないままでいいやと思っていませんか。
子を持つ、もしくはこれから持つかもしれない、一人一人が胸に手を当てて考えてみるべきではないでしょうか。
これからは、Boys, be ambitious もいいんですが、
Boys & Girls, be Curious!! な世の中になってくれるとより嬉しいですね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?