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海外渡航が始まってから10年の節目に。

今年で26歳。初めて海外に出た歳は10年前の16歳。部活で初めて韓国に行ってから、間も無くオーストラリアのタスマニアへ短期留学へ行くことになった。周りが一年規模の留学に挑戦するのを見つつ、帰国子女でもなければ英語力も芳しくない自分にはもう少し短い期間からスタートしたいなと思っていたのだ。あれは今思うと英断だと思う。一年規模をできるようになるのは、その後いくつも海外渡航経験を積んでからになるわけで。

後にも先にも、ほぼ遊んで笑って食べて終わる海外経験はオーストラリアが最後だと思う。他は留学や研修、研究に仕事と何某かの課題があっての渡航が増えていったわけだ。もちろん課題解決に向けて動くことが好きな性分なのでこうして今も海外の仕事に勤しんでいるわけだが、遊びが好きか仕事として行きたいかで海外好きと一言に行っても大きく変わってくるだろう。

様々な国に行きながら、行き先で数えきれないほどの人に助けていただいていると常々頭が上がらない。そもそも、英語で相手が話してくれるというだけでも、どれだけ相手が自分のレベルまで降りてきてくれているのだろう。相手国の言語が使えれば、相手にわざわざ第三国の言語を使わせる事もない。こちらがそこまで習得できていないから、やむを得ず第三国の言語をそれぞれ使っていると思うのがただしいだろう。しかし、共通で使える言語が大方固まっているのは確かに便利だが、自分もグローバル化の波に悉く飲み込まれた者の一因だと自嘲せざるをえない。少し前まで英語や仏語を周りより少しは使えること、またそれを使って仕事の幅を増やすことに心を躍らせていた。しかし来てみてどうだ、得られる情報は相手国の言語が一番多いに決まっているのだ。第三国の言語に頼り切りでいるかぎり、その国の本音は見えてこない。永遠に蚊帳の外だ。

つたなくてもいいから、同じ言葉を話そうと頭を悩ませ、同じものを食べて人と笑うことから相手国の事を少しずつ自分の中に落とし込んでいきたい。少しでも日本語を話そうとしてくれる外国の方を見て嬉しくなる気持ちとまた同じで、当たり前に見えるかもしれないが自戒も込めて自分もそうでありたいと思う。

どんなに難しい仕事をするようになって地位が上がっていってしまっても、(上がれるかわかんないけどもね)同じ土の上に腰を下ろして、一緒に何か美味しいものをぽくぽく食べながら、相手と一緒にあははと笑えるような大人でいたいものです。

海外経験が始まった10年の節目に、あったかいお茶でも飲みながら少し現地語を学ぼうか。

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