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自己紹介というか、書くことについて自分が考えたことみたいな話

長らく、プロフィールの記事を作れ、などというnoteの教えを無視し続けて来たのだが、試しに自己紹介的な固定記事を作ってみることにする。とはいえ、自分についてはそんなに話すことはないので、書くことについての考えを書いてみる。

■ 頼まれも読まれもしなくても書くことには意味がある

誰にも頼まれもしないし、大して人が見に来るわけでもないのに、ここでテキストを作り続け、貴重なインターネットリソース(主にSPAMによって消費されているという説もあるが)とまあまあの睡眠時間を消費している。そこに意味はあるのだろうか。

一応、ちゃんと自分なりの理由がある。自分は、本業は人の仕事を手伝う・・・もうちょっと言うと、たまに客先に行って会社みたいなものの運営をサポートするような仕事を主にやっている。成果物があったりなかったり、内容は現場によって違うのだが、共通して言えることは、人の話を聞いたり、なんか多少なりとも元気が出るような、興味を持ってもらえそうな事を話す、ということが、具体的な作業内容や成果物よりも、商売の上でとても大事なことだ、ということだ。

というのも。

わざわざ外の人を呼ぶというのは、お客である会社がなにかしら困っているからだ。ただ、自分が今まで見てきた限りでは、本当に外部の人の力に頼らないと解決出来ない問題というのは、そうそうあるものではない。ほとんどは、ちょっとした気づきの問題だったり、なんか行き詰った感じがするとか、会社の空気が悪い、みたいな、単なるムードの問題だったりするものだ。こういうナゾの躓きのようなものは、同じ組織の中にいて、ずっと同じ空気を吸っていたりすると、案外当事者は気づかない。そういう状況を打開するために必要なのが、ちょっと違った価値観の人、だったりするわけだ。

多くのコンサルタント的な商売の人は、もっぱら自らの「スキル」が売れている、と考えがちなようだが、自分の考えは違う。やはり「餅は餅屋」という言葉があるように、その業界の事とか商慣習的な事とか営業の現場の空気、製造現場の秘められたノウハウ、みたいなものは、たまに会議室に現れて、こたつで収集したような情報を元に、ありきたりな助言風の虚言をもっぱら繰り返しているような人(自分がそうだ)より、現場の人のほうが何百倍もよく知っていて、実に素晴らしいソリューションを思いついたりするものなのである。問題解決に必要な「スキル」は、たいていは既に現場にあり、自分なんかより断然レベルが高い。なので、それをうまくサポートしてあげたら、ほとんどの場合はそれで事足りる。自分はそういう風に考えている。どちらかというとコーチングよりの考え方である。

実は、それをうまい事やろうと思った場合に、どこかで聞いたような事を紹介してみたりすることが地味に役に立つ。いい感じに状況を整理したり、そこからヒントを出したりしようと思うと、やっぱりいろんなことを知っているとか、考えたことがあるとか、そういうのは強い。だから、こたつで情報を収集したり、スキルアップに励んだりすることに、意味がないわけではない。ただ、勘違いして、それを売りつけたりはしないほうが良いと思う、という話だ。結局やることは同じでも、その辺の順序を間違えてはいけない。インプットすることは大事だが、インプットしたものをそのまま出す事が、その目的ではない。インプットは、視野を広げ、自分を肥やしていくためのものだ。

もちろん、仕事の大きさとか顧客の大きさとか、フィールドが変われば、求められるスキルとか成果物みたいなものは変わってくるので、なんでもかんでもそうだというわけではないが、個人で仕事をする場合には、やはりなんとなくこの人は面白いことを言うとか、変なことを知っているとか、「なんらかのユニークさ」みたいなものを身にまとっておいたほうが良い。そこから刺激を受けて、現場の人達がなんかポジティブに考え出す、動き出す、そういう感じになる事が理想的だ。

これぞまさに「言うがやすし」というやつである。自分はこのメカニズムというか、自分の商売の本質みたいなことを思いついたときに、自分レベルじゃ全然足りない、という事をまず思った。しかし、諦めてはそこで試合終了である。常にホームラン級の仕事をするのはまあ無理だとしても、うまいこと気に入ってもらえる仕事が増えるに越したことはない。さてでは、なんとかしてアベレージ(打率)をあげていける方法はないだろうか。

これに唯一の正解があるとは思わないが、自分は、その答えは結局「筋トレ」だ、と思った。覇権暇つぶしプラットフォームYoutubeなどを眺めていても、この人面白いな、もっと話を聞いてみたいな、と思わせる人というのは、やはりすごく色んな事をよく知っていて、色んな事を自分なりによく考えているタイプの人が多い。必ずしも、言っている事が正解かどうか、一番ベストな答えを持っているかどうか、ということはそれほど重要ではない。広く社会で共有されているような問題と違って、現場で解決すべき問題は個別具体的(少なくとも当事者にとっては)であり、なにが最良かまではよくわからない事が多い。そういうタイプの問題解決では、多少間違っていたとしても、物事を自分なりに認識して、判断して、その場で一緒に考えてくれるちょっぴり刺激的な人のほうが、なんかよくわからない正解を持ってくるだけの人より、ずっといい。結局は学者などではなく商売人なのだから、そういうのでいいわけだ。

「筋トレ」とはなにか。それが結局ありきたりだが、インプットとアウトプットを鍛える事なんだと思う。アウトプットの訓練として最適なのは(インプットとしても最適な可能性も高い)、やはり色んな場所におもむき、実際に人と会って話すことだと思う。しかし、テーマによっては、そうそう長々と持論を語り続けるわけにもいかない事が多い。たいていの人間は、なにより自分の話を聞いてもらいたがるものだからだ。アウトプットは自身の成長にとってはとても大事なことで間違いないと思うのだが、やはりコミュニケーションの現場では、「聴く」ことはそれに勝る重要な事だ。

そこで思いついたのが、平凡でアレなのだが、アウトプットに関しては、取り敢えず書いて形にしておく、という事だ。書いておけば結構考えが整理されて記憶に残るし、時間をおいて読んでみたら、自分の書いたものを客観的に見れて、そこから思わぬ発見をしたりもする。そして、興味がある人がたまたま読んで、フィードバックがもらえるみたいな幸運なこともたまにある。作るのに結構時間が食われることが弱点と言えば弱点だが、メリットがとにかく多い。少なくとも、文章が多少なりともうまくなって損をする場面というのは、なかなか思いつかないだろう。

そんなこんなで、取り敢えず書くことを習慣にしようと思うに至ったわけだ。

古い友人が、昔、文筆は、余計なことを考えずに、とにかく3年書き続けること、まずはそれからだ、みたいなことを言っていた。自分は、文筆そのもので生計を立てようと思っている人間ではないのだが、その言葉には、とにかく3年なにかを一生懸命続けてたら(食えるかどうかはともかく)違う景色が見えてくるから、という意味も含まれていたような気がして、妙に忘れられない。自分が書くことを始めようと思ったきっかけは上記のとおりだが、継続している理由には、友人が語ったその先の景色みたいなものを、何であれ見てみたいな、と思ったこともある。取り敢えず3年が目標だ。2020年6月ごろから始めているので、あと1年半ぐらいかな。

今まで書いたものは約300本。往々にして、この手の個人ブログというものは、ネタ切れによりフェードアウトするという運命にあるわけで、その問題を解決するために、当初は、ニュースとかホットなトピックという日々供給されるものの中からネタを探してきて、それについてコメントする、といった格好で始まった。その後、もう少し自分の日ごろ考えている事だったり、昔から好きなものだったりとか、そういうものを混ぜて、自分なりに多少は内容のあるテキストを目指して試行錯誤を行ってきた。不思議なもので、当初はネタが無くても書けるようにと考えたニュースシステムだったが、1年を超えたあたりから、自然といつか書こうと思うネタ、みたいなものがあまり途切れず思い浮かぶようになった。これが1年半めの景色なんだろうか。多少仕事の都合で時間が取れない事も増えてきたのだが、なんとか調整して、もう300本とは言わないが、せめて200ぐらいは書きたいなと思う。

動画メディア等も充実してきて、面白い娯楽が溢れている昨今。こんなどこの誰が書いたかも知れないようなものを最後まで読んでくれたような人は、きっとなにかしら活字がスキなんだろうなと思う。よかったら、あなたも書いてみたらどうだろう。それとも、すでに自分なんかよりも沢山書いている、ずっと素晴らしい書き手なんだろうか。どんな人が読んでくれているのかわからないけど、ここにあるストックの中から、気に入った記事が見つかったら幸いだなと思う。


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