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給食とご飯に対する嫌悪感

僕は好き嫌いが多い。よく遊ぶ人は僕がかなり苦手なものが多くてきっとご飯の時に気を遣ってくれていると思う。メニュー見ながら「何がダメなんだっけ?」ってよく聞かれるし。

そして最近、定食屋から漂ってきた親子丼の匂いを嗅いで、給食の時のあの押しつぶされるような感情を思い出して、僕の好き嫌いの多さは、保育園と小学校の体験に起因しているんじゃないかとふと思い当たった。

僕は小さい頃、本当に少食な子どもだった。まず給食を食べ切った記憶がない。それよりもみんなが外に出てドッジボールをするなか、教室の中で1人残った給食をずっと「減らないなぁ」と思って眺めていた覚えの方が強い。
なんなら昼休みにも食べ切れなくて、掃除のためにみんなが机を動かす時に、クラスメイトの邪魔にならないように自分の机を自分で動かしていた時の疎外感も覚えてるし(あのテトリスみたいなやつ)、食べきれない分を先生の目を盗んで給食袋の中に押し込んだ時の冷たい汁の感触も覚えている。

食べなくちゃ先生に怒られる。同い年の女の子も完食してる、僕も食べ切らないと恥をかく。

そんな胃がキュッとなるような思いで毎日3時間目くらいから不安とプレッシャーで胃が痛くなっていたのに、容赦なく給食は用意される。
こんな気持ちの中で美味しくご飯なんて食べれるわけないし、手も口もきちんと動かない。

「給食だけが楽しみで学校に行ってるんだ!」という当時のクラスメイトの言葉は全く信じられず、小学生時代の僕にとって給食は、やらされる勉強よりもただただ面倒くさい持久走よりも1番学校に行きたくない理由だった。

今でこそ、実家の冷蔵庫の2分の1くらいのナリをしてるけど、人よりも2倍くらいの量のご飯が食べれるし、目の前の自分のお皿に何か残っていれば人よりも早く食べてしまいたくなる。

多分これはその時の焦りの記憶から来るもんなんだと社会人になってから初めて気づいた。

食べ物を無駄にしない習慣をつけるのは食育っていう観点からそりゃ大事なんだろうし、家で満足に食べられない子どももいるって大人になった今なら分かるけど、僕にとってはトラウマ以外の何ものでもない。

ちなみに冒頭で出した、親子丼は味は嫌いじゃないけどあんまりできれば食べたくないな。小学生時代の僕の胃の重くなる感覚を思い出すから。

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