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【短編小説】カニパン少女に救われて

 リクルートスーツは人生の喪服とはよく言ったものだ。

 企業訪問って何度まですればいいんですか?志望動機ってどのくらウソついたらいいんですか?社会人への階段の第一段目が巨大なアスレチックのようにもの凄く高く感じる。
 就活セミナーも聞き飽きた。何かすごい肩書のお姉さんが「あーだら」「こーだら」と壇上で延々と語る。自己啓発も何が何だか。聴いている間は履きなれないパンプスがひりひりと足を痛める。

 シュウカツって何ですか。美味しいの?
 自分自身を見知らぬおっさんたちに気に入られるために、メンタルを改造するこの国の若人に課される一大イベントだとは知ってたけれど、もはや心がバキバキに折れそうだ。

 真っ昼間の公園で時間を潰すのは、子どもかハトか就活生。
 自分も子どもみたいに素直になれればいいのにと悔やむ。面接じゃ口先の魔術師が持てはやされる世情だし。
 集団面接に参加したもの、隣に座ってるライバルたちが手に届かないような年上の子に見えてしまう。そして立派な発言にわたしの心は粉砕される。

 面接とは言わば剣豪との果し合いだ。あちらが上段に構えれば、剣先を見定めて斬り返す。その応酬が巧みにかわされて、腕の立つものが生き残る。
 わたしなんかは、なまくら刀で備前長船に挑もうというものだし。「またつまらぬものを斬ってしまった」というセリフを聞きながら、どさりと大地に倒れこむ役が似合ってるっていうのか。

 筆記試験だけはなんとかなる。問題は面接なのだ。
 今、思い出してもこっ恥ずかしい。とある名のある企業での面接でのこと。
 「学生時代、何に打ち込みましたか」と面接官から質問されたけれど、聞き間違えて「トイレにスマホを落とした時です」と返答してしまった。
 「それは『打ち込んだ』話じゃなくて『落ち込んだ』話だね」とあっさりとかわされて、一生分の汗を流してしまった。その結果企業のロゴが書かれた立派な紙面にて丁重にお祈りされたのは言うまでもない、言わせないでくれ。

 ハトのようにどこかへ飛んで行ってしまいたいけれど、多分わたしは猛禽に食われてしまうのがオチだ。この世は弱肉強食、食えないものは肉になるだけ。
 翼を下さいってよく言うものだけど、ただで手に入れるものほど高いものはない。その翼、イカロスの翼かもね。いや、王様の翼は……と、ありもしない翼を誂えられて、その気になって飛べるはずもない空へとアイ・キャン・フライ。
 うん。それは就活成功者の講話を聴いた後のわたしだってば。お話を聞いただけで自分が何もかも能力を得た転生者になったという勘違い。詐欺だ。

 脳内だけは饒舌だと自分ではわかっている。けど、自己分析がなんじゃらほいだ。内弁慶なのは分かってる。外義経になれるものならなってみたい。無理だけど、そもそもそんなものいるのかってお話。知らないけど。
 足踏みしても仕方ないのはわかってる。だから、声を出す練習ぐらいはと。子どもたちがわいわいと歓声を上げる中、わたしは社会の窓を叩いてみる。

 すっくとベンチから立ち上がり、公園を面接会場に見立ててみる。

 「……大学法学部四年生。祖師谷そしがやかえでです。志望どう……きは」

 だめだ。栄光への架け橋が羞恥の濁流に流される。粉々に折れた欄干が渦に飲み込まれてゆくのを成すすべなく立ちすくむ。
 わたしがため息をついていると、飴玉のような声が聞こえた。

 「好きな食べ物は何ですか」

 わたしの目の前には、たたき上げの人事部長……ではなく、女子小学生が一人。彼女は涼し気な顔をしてわたしの返答を待っていた。

 「好きな食べ物は何ですか」

 答えないと。聞かれてるぞ。

 「えっと。給食です」
 「それは食べ物ではありませんね。そしがやかえでさん」
 「すいません。求職のことばかり考えていたので」

 人生破れかぶれ。いつも笑ってる恵比須様も青筋立てて烈火のごとく座布団を奪い去るレベルの答え。『これにて面接の時間はおしまいです。またのおこしをお待ちしています』と司会者が笑うってか。
 
 「はい。給食のじかんです」

 女子小学生は背負った小さなリュックからカニパンをわたしに差し出した。
 懐かしい手触りがわたしの隅に住まう幼心をくすぐった。が、カニパンを手にした瞬間、女の子ははぁとため息をついた。

 「知らない人から物をもらってはいけませんって、お母さんから言われたでしょう」

 少女が冷静な目でわたしを諭し、はきはきとした言葉を続けた。

 「そしがやさんはとても素直なにんげんです」
 
 多分、悪意はない。少女の言葉は人事部のおっさんのものよりも重く尊い。

 「でも、素直なにんげんはすてきな事です。そしがやさんはもっと素直さを前に押し出すとよいでしょう。自分を助けるのは自分自身ですよ」
 「ありがとうございます」
 「では、今後のごけんとうをお祈りします。あーめん」

 踵を返しぴょこぴょこと去ってゆく少女を見ながら、わたしはカニパンをほおばった。カニパンはカニよりもカニの味がした。

 翌日もわたしはカニパン少女に出会った。同じ公園で時間を潰していたんだから無理もない。
 そして昨日のこの時間に起きたことと同じように彼女はわたしへの『面接』を始めた。

 「好きな食べ物は何ですか」

 彼女は同じ質問をわたしに投げかけてきたので、昨日の反省と踏ん張って「カニパンです」と胸張って答えた。

 「ウチの商品知ってますか?ウチはあんパン屋さんです」
 「はっ」
 「我が『かえで屋』はあんパン一筋三千年のしにせです。カニパン屋さんとはきょうごう他社というのはごぞんじですよね。では、今後のごけんとうをお祈りします。あーめん」

 かえで屋の少女は背負った小さなリュックからカニパンと手作りの名刺を取り出すとわたしに渡してくれた。
 『あんぱんひとすじ かえで屋だいひょう こしがやかえで』
 多分漢字では『越谷』なのだろうか、越谷かえでちゃん。そして、わたしは祖師谷かえで。
 奇しくもわたしと一文字違いの名前だということに、何かの縁を感じた。だからと言ってどうかなるのかって言えば、それはまた別の話。

 その日はカニパン少女の名前が『こしがやかえで』だと分かっただけで、一日を生きたことに価値を感じた。『こしがやかえで』と『そしがやかえで』が出会う奇跡。一文字違いだという僅かな幸せを感じる。
 
 また翌日もわたしは同じ公園にいた。相変わらず子供たちの声が響く。かえで屋の少女に出会えるかもしれないという淡い期待を寄せて、指先でスマホをぐりぐりといじりながら、オトナの世界に爪先浸していた。
 リクルートスーツも慣れた。履歴書だって目を閉じていてもすらすらと書ける。成功者の声など聞き入れるもんか。今、わたしに必要なのはカニパンだ。昨日少女から頂いた手作りの名刺を見返してみる。

 「こしがやちゃんかぁ」

 仕事に就く前に貰った名刺はわたしの一生の宝ものにしたい。これからの人生において漢字ばかりならんだ大物の名刺を頂いたとしても、このサインペンで書かれたお手製の名刺には敵わないはずだ。もっとも、そんな生活を送るスタート地点の前で躓いているわけだが、それは不問としてほしい。

 職業、就活。
 これだけは言えるんだけど、わたしには就活しかないんです。
 いくら敗れ去っても、また幾度と挑み、そして引退さえもちらつかせるものの撤回。輝かしい経歴を持つ精鋭たちに紛れて進化するステージに立ち向かうもの、敗退。
 これだけは言えるんだけど、わたしには就活しかないんです。
 人生、就活。
 企業のビルが鋼鉄の魔城にも見えないか。
 
 SNSから「かえで!内定取れたよ!」と仲間が一人、羽ばたいてゆく知らせが届く。
 「かえでも早く決まればいいね」と寸鉄がわたしをえぐる。高ぶっていた気持ちに制裁が加えられた。

 調子に乗ってごめんなさい。社会的につながるという誰にでも享受できる権利さえも踏みにじられたのだから、SNSってやつは。

 「SNSは何のりゃくですか」

 かえで屋の少女がやって来た。わたしは学習したぞ。だから、わたしは間髪入れず答える。

 「がんばれ・ニッサン・パルサーです!」
 「それはGNPのりゃくですね。でも、間違っててもすぐに返事を返すのはとてもよいことだと思います。では、今後のごけんとうをお祈りします。あーめん」
 「ちょ、ちょっと待って!」

 立ち去ろうとする少女を大声で呼び止めた。一歩間違えば事案ものだ。
 
 「お姉さん、今ね、お仕事探してるの。わかると思うけど。……わからないかぁ。でも、なかなか上手くいかなくって、自分のことコンチクショーって思ったりするけど」
 「きっとだいじょうぶです。おねえさんを助けるのはおねえさん自身です」
 「はい」
 「知らないうちに自分が自分を助けているじじつって、思いのほかあるんですよ」

 女子小学生に励まされる自分が情けなく思う。確かにかえちゃんの言うとおり、自分を助けるのは自分だ。社会なんか何のあてにもならない。社会が助けてくれたら、わたしだってこんな苦労を強いられることなどないのに。
 この結果だ。自分自身さえも信じられなくなるこの頃、唯一信じられるのは……カニパン少女こと、こしがやかえで。

 「かえちゃん!なにしてんの!」

 もう一人カニパン少女よりも年上の女の子が駆け寄ってきた。
 かえちゃんことこしがやかえでちゃんは、年上の女の子を邪険にあしらおうとする姿が見え見えだった。

 「妹が申し訳ありません」
 「わたしはあなたのいもうとじゃありませんっ」
 「どうしてそういうこと言うの?かえちゃんはわたしの妹だよ?」

 かえちゃんの言うとおり、ふたりともあまり似ていない。ただ、年上の女の子は「お母さんから怒られるんだから」と話しているところからすると、姉妹である確率は大いにある。そして、かえちゃんは「しらないっ」と、『お母さん』の存在を否定しているように見えた。
 姉を標榜する少女はわたしが手にしている一枚の名刺に気付いた。

 「ごめんなさい。失礼ながら、それは」
 「あ……、あの。この子から頂いたものです」
 「かえちゃん。お店屋さんごっこするのはいいけど、かえちゃんはもう『こしがや』じゃないんだよ」
 「わたしは『こしがやかえで』だもんっ」

 電話の音がする。姉の方からだ。
 「はい。はい。そうです、ソシガヤです」

 そしがや。
 わたしと同じ苗字だ。珍しいけれど、無いという確率はゼロではない。

 ふと、わたしは推理した。
 この姉妹は法律上、戸籍上、世間様からすると姉妹だが、遺伝的にも家系的にも本当の姉妹ではないのかもしれない。事情は立ち入らない。かえちゃんの両親が自ら何か法的な手段で共同生活を破棄したんだろうが、それはかえちゃんたちの事情だから、わたしのようなものが口をはさむ権利はない。だから、本当はかえちゃんは「こしがやかえで」ではじゃないって、アイデンティティを保っているのかも。勝手な想像だけどさ。

 そのまま姉はかえちゃんの手を引いてわたしの前から立ち去った。そして、カニパンの女の子の名もわたしと同じ「そしがやかえで」だったのではないかと。もはや確認するすべはないけれど。
 カニパン少女のかえでちゃんとはこの日以来出会うことはなかった。

 ××××××

 以来、わたしは就活が上り調子に進んでいるような気がした。
 面接だって今までになかった手ごたえさえ感じる。一切起きなかった談笑が人事部のおっさんと出来るようにもなってきた。おっさんがかえちゃんこと『そしがやかえで』のように見えているという訳ではないけれど、誰かと対面で話すという、いままでだったら無理ゲーの舞台設定が取り払えた感じがするではないか。

 この間の面接だって。

 「好きな食べ物は何ですか」

 名のある企業でおおよそ飛び出すような質問ではないと思うけれど、わたしは間髪入れず「カニパンです!」と返答できたこと、そして理由をすらすらと述べることができたことが誇りに思えたのだ。
 好感触。何度も言いたい、好感触。文字にするならば、お尻に薄紅色のハートマークをつけてもいいぐらいだ。きっと、面接官のおっさんもこのあと迷わずカニパンをかじってるに違いない。

 もしかして、幼い『そしがやかえで』ちゃんが、へとへとと疲れ切った就活生の『そしがやかえで』を助けてくれたのかもしれない。

 「きっとだいじょうぶです。おねえさんを助けるのはおねえさん自身です」

 カニパンをかじりながら、少女の言葉を思い出しつつ、フィットしてきたパンプスでオフィス街を歩く。



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