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【短編小説】葵先輩 #シロクマ文芸部

 「文芸部のOGに東大に行った先輩がいるんですか?」

 確か、わたしが入部したての頃に聞いたはなし。当時の驚いたことベストワンに輝く内容だった。特に進学校という訳でもない、なんとなく自由な校風の地方の高校だというのに東大だ。しかも文科三類文学部。書いた文字がインテリジェンスで光り輝くとも噂される、あの部だ。
 とにかく、本が好きで、文章を書き、物語を紡ぐのが何よりの楽しみだったわたしが、入学して真っ先に門を叩いたのは文芸部。『東大生出身部』というブランドで、わたしが部のレベルについてゆけるかどうか少し心配になった。

 いとま さえあれば、ページをめくることに時間を割く。そして、息抜き代わりに誰かが世間話。部室はそんな、ゆっくりとした木の香りが漂う喫茶店のような空間。わたしは自分のペースでせっせと自分の作品を執筆していた。女子高生というステータスもどうでもよく、身の回りのことすべてが作品に生かせればと、考えていたあの頃。

 ぴかぴかの入りたての文芸部員だった。
 きらきらな夢を胸に作家を目指していた。
 こんこんと将来への扉を叩く。
 ぽかぽかな部室がわたしの心を揺るがせる。
 すやすやと居眠りする先輩を横目にしながら。

 こんを詰めるのはよろしくない。
 わたしは筆の執る手を休めた。

 「せんぱい」
 「……ん?」
 「東大に行った先輩って、どんな人ですか」

 わたしは会えるのかどうかわからないこの先輩に興味を持った。
 隣で惰眠むさぼるせんぱいとのコミュニケーションを取るための、最小限の話題。おねむ の間なんだから、なるべく省力で。

 「わたしが一年のときもう卒業してたからよくわかんないけど、わたしの先輩が言うには真面目な感じ。鬼編集者が文学少女に憑依したって感じ」
 
 さらに、伝聞ながら伝わる逸話をせんぱいは話してくれた。
 先輩がいたころは活発に文学とはなんぞや……と議論が交わされていたこと。先輩はもの作りに対しては真摯で、妥協は許さない性格。筆が進まないと無口になること。締め切りの三秒前まで推敲を繰り返していたこと。そして、脱稿するとたがが外れて、人が変わったようにはしゃぐこと。

 「葵先輩とは、そんな人です」

 部活としてはかなり緩い空気のこの文芸部。入部当初は部の雰囲気に置いて行かれる不安があったのは確かだが、わたしは時々『ピンポン野球ばかりしてるのに、甲子園目指している』んじゃないかという不安に変わった。しかし、東大進学への実績という『葵先輩の履歴書』を肩に借りて、わたしはわたしで文章を編み続けた。
 小説はもちろん、エッセイ、書評、恋文の代筆まで、文字と言う文字に愛されるための努力はやったつもりだ。

 だが、努力は所詮努力。実る保証さえもなく、高校時代の思い出だけを引きずって、見果てぬ作家という夢にしがみ付きながら派遣社員の生活を送る。もちろん、わたしは出版社に持ち込みを続けているし、もう十年戦士だ。「継続は力なり」と刀を背負ったちいさなロボットの口調で繰り返す。

 いつもの出版社でのロビーでの一間。
 東大生から編集者となった葵先輩は、とても真剣だ。葵先輩がわたしの目の前でため息をついた。
 葵先輩は無口になることが多い。それは、わたしに真正面からぶつかってくれている証拠。そんな葵先輩があいさつ以来に口を開く。

 「いいと思うよ。でも、悪くもないの。だからと言って攻めてるわけでもないし、保守的でもない」
 「と言いますと」
 「これから飲みに行こうか?」

 決して悪くない身なりに身を包み、ちょっと高めな腕時計を一瞥して立ち上がった仕事の鬼。
 
 「打合せ、会議。そして、あなたの原稿を読んで評価する。これで、今日の仕事は終わり終わり」と言い残し、わたしはこつこつと廊下に響くパンプスの音を追いかけた。

 その夜、連れられた居酒屋で作家や出版界のはなしを葵先輩はしてくれた。文学とはなんぞや……と交わされる議論。白熱した意見のやり取りなど、わたしには出来るはずはなかったが、目の前のハイボール以上に濃い内容に傾聴する以外なかったけれど、する価値は十分だった。

 (葵先輩がいた頃の文芸部って、こんな感じだったのかな)

 多分ね。


トップ絵はAIの力を借りました。

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