現実だってフィクション
貴方は「お前空気読めないな」と言われたことはあるだろうか。
例えば、何人かでご飯何食べに行こうという話をしていて、他の人がピザ食べたいと言う中自分だけがラーメンが良いと言うとこのように言われるだろう。ただ本心を口にしているだけなのに、何故か悪者扱いされてしまう。
そういう経験をして、空気を読むことを覚える。ピザいいね、と言うようになる。本当はラーメンが食べたいのに。
このように、自分の気持ちとは別のことを口にしてしまうことは多い。三次元、今自分たちが生きてるこの世界で起きることは事実であるが、果たしてそれは本当にノンフィクションなのか?その言葉を発したという事象は現実に起きたことだけれど、今その瞬間に生きている自分の気持ちとは異なるなら、それは真っ赤な嘘だ。
決してそれが駄目いう訳ではない。
誰かと関わって生きていく以上、全ての人間と同じ意見を持つことはないし、歩み寄ることは必要だと思う。嘘だって生きていくためのひとつの武器だ。
自分自身の話をすると、人に自分のこと、自分の気持ちを話すのが好きではなくて、沢山嘘をついた。本音を隠した。周りの人に「君はこういう人だね」と言われたこともあるが、その人間像は自分の思う自分ではなく虚構でしかなかった。
我々の生きている世界は事実と虚構で出来ている。全てがノンフィクションじゃない。
ただ、フィクションとノンフィクションの線引きを見失ってはいけない。
どんなに暗い人間でも、周りを嘘で塗り固めても、自分自身が見えなくなってしまうと何も分からなくなる。虚構は現実があるから成り立っているから。
とりあえず自分は今家系ラーメンが食べたいです。ピザはいらん。
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